2020/11

〒242-0021 神奈川県大和市中央3-8-26 杉中央ビル1階
営業時間 | 9:30~18:30 |
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定休日 | 水曜日・金曜日・日曜日・祝日 ※ただし急を要する方には第2・第4日曜日にて 個別対応も可能なこともあります。前日までにご相談ください。 |
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2020/11
2020/11
「肝の疏泄失調:かんのそせつしっちょう」。鍼灸師なら誰でも知っている概念です。
教科書に出てますから。
とくに中医系の医療人ならならほとんど毎日に耳にし、カルテに記載するでしょう。
症状はイライラ、鬱々、筋肉の張りなどなど・・・
それだけ?いや、まだまだ・・・(# ゚Д゚)
思い込みというか勘違いや強い憶測も出てきます。
「あの人は私を嫌っている」に違いないって感じのこころ持ちがそれです。
僕は猜疑心は、怒りや焦りの感情の先走り現象と捉えることで腑に落ちました。
昔、ベトナムでハンモックで寝ててわかったけど、
ハンモックは適当に揺れるから気持ちがいいのです。
揺れ過ぎると落ちるだけ。怪我するだけ。
疏泄失調は揺れ過ぎるハンモックのようなもの。心が揺れすぎてそのうち大怪我をします。
この怒りや焦りの先走りというか揺れすぎるハンモックを程よい揺れに戻す方法が二つあります。
※微笑の題材を探し、笑いで怒りを溶かすか。のどちらかです。
どちらの選択肢も可能です。貴方ならどうしますか……?
また、琴線に触れられるケースもあるでしょう。琴線はその人が生育過程で獲得した《いわゆる痛いところ》で、相手の何気ない言葉で過剰に反応して俗に言う切れる状態になってしまいます。
※これには30敗の法則(勝手に作った造語)を使いましょう。初めから余裕をもって負けようとします。言われちゃった負けたよーという感じで、端から負けを求めることを30回ほど繰り返します(本当は勝ち負けの問題ではないのですが)。
経験則から30回繰り返せば、だいたい琴線触れられても笑えるようになります。
それでも怒り、不安から抜け出せない方はご相談ください
※新着時期を過ぎると左サイドバー《院長の呟き》に収められています。
2020/11
28年前の話。
開業して1年間は西洋医学の本は読まないと決めていました。
伝統医学の本ばかり読みました。わからないこと、疑問に思ったことは伝統医学の眼から解決するという企みです。
当時伝統医学より知識量の多い西洋医学に流されたくないという思いからですね。ちょっと極端ではありますが
この背後にある視点は?
入力する情報の質量が、思考に影響し、伝統医学の概念形成を進め、より伝統医学的思考方法が身に着くと考えたからです」
これをしないと西洋医学と伝統医学をチャンポンにしたご都合主義的臨床家になるにを恐れたからです。頭の中の一定程度は西洋医学(近代の常識)から伝統医学の世界観にチェンジするために必要な処置だと考えました。
臨床の時だけ伝統医学ではなぁ底浅になる。 今は文脈の違いを意識しながら、思考出来るようになりました。ハイ
〜常識の違いが争いのもとになることも〜
以前『中医臨床』誌の原稿をお弟子さんに依頼したところ、何かの比喩にサッカーの喩えを用いました。
ボランチがどうの、スルーパスがどうの…いつもサッカーの情報を入れるため、世の中の人が、この程度の知識があると考え、比喩に用いたのでしょう。
つまりサッカーの一般用語は世間の常識と考えたわけです。
とんでもない間違いです。 と言う私もやらかしています。以前「医道の日本誌」何かでプロレスラーを比喩に痰飲の話を書いたことを覚えていた方に、どこかの講演会で叱られました。 プロレスラーの比喩なんて不潔と最後に付け加えられたのには目を丸くしましたけど…ほっとけ!(^〜^)
自分の中の常識は下位情報の仕入れ方やその量で決まるという側面もあるという認識を持つと良いと思います。
良く悩んでいる、怒っている人をみますと相手との認識(常識)のズレを感じることがあります。
常識の違いに折り合いをつけるべきで、悩むことも怒ることないケースもあるのです。
※新着時期を過ぎると左サイドバー《院長の呟き》に収められています。
2020/11
2020/11
年初、某学校授業でのお話。
「気ってなんだろう?気がよくわからないうちに、気を基礎にどんどん授業が済んでいいて面食らったということ???」という感想があった。
うーんこれはよくわかる気がする。
実は僕もそうだったから!
30年前に北京な大きな体育館で中国中の気功家が一堂に会したイベントを見に行ったことがある。 何人かの気功の大家が、観客席に向かい気を放ち観客が倒れたり揺れたりするのを見た。
マジかー
僕は言葉がわからないので全くなんの変調もないのだが、周りの異様な雰囲気を察し揺れるふりをしていた。
揺れなければ申し訳ないと感じる日本人らしい気の使いようだ???
言語の壁が存在するのなら、集団催眠以外の何者でもない?というのか実のところの感想。
日本人は一般に気を不思議、不思議なものと考えやすい。
ちょっと前なら悟空のカメハメ波やケンシロやラオウが纏うオーラのようなものと考る???かも。
鍼灸医療で用いる気はもってもっと狭く規定する。
唯物論で語られ、6つの作用を持ち、現象として鍼を刺した時に響きとしてで得られるものを指す。 つまり不可視であるが、鍼を以て捉えられるものである、と考えている。
そこから入らなければ、よほどの匠か、もとより感受性の高い人でないと、いつまでもわからないものになる。
概念から入り、臨床の中で実感して行くのがセオリーであろうか
※新着時期を過ぎると左サイドバー《院長の呟き》に収められています。
2020/10
全てそうだと思いますが、基礎の上に応用があり、気付いたらかなり自己流という過程を経るものです。
※中医基礎が面白い。
※回りで勉強する仲間が面白い。
師匠の理論解析や知識が圧倒的に凄かったので、その道が大きく見える。ただ、技術者として「匠」への憧れはある。凄い技に国境も流派もないから。
昭和鍼灸の老師の方々のご本は良く読ませてもらった。途中から匠の技術より生き方を読んでいるのだが
知っているレベルではなく、電話一本で翌日に駆けつけてくれるレベルで多数いる。
片手だけで脊椎矯正する人の治療も受ける(子供のころから寝違い癖があり治してもらう。長生術の創始者からの直伝らしい)。
憧れるなぁー不思議不思議のこういう人達には
自分自身も中学生の時など親戚のお姉さんの熱を手のひらを当てて下げたりしていたので、全くこの類の治療には違和感がない。
その片手矯正の匠に憧れ、長生学園に入るも…内容が変容しガッカリする。しかし同級生に変わってた子がいて、トランプの数字を全部見えている。〜救われたなぁ〜
路頭に迷っていたとき、当事少数派の中医を標榜する鍼灸学生に会う。
六畳のアパートに大きな本棚が7、8本あり、2万冊ほどの中医書がある。びっくり!(床が抜けるだろう)、それが縁で鍼灸学校に入る。今はあろうことかその学校の教壇に立っている。各地の講演会にも呼ばれもする。分不相応で、場違いだと思うが、これももう少しで卒業できそう
出会いほど大切なものはない。
良い出会いがありますように
※新着時期を過ぎると左サイドバー《院長の呟き》に収められています。
2020/10
臨床家の役割は「患者さんの苦痛、違和感を取り除く」という一点にある。と言いますか、その一点しかない。
それ故、治す対象となる疾患、症状を特定することが、始めに行う作業だ 至極当然のことではあるが、よく弁証の際に対象とする症状(主訴)を横に置き、全体像を弁証する方がいる。
勘違いというか、方向性がズレていると思う。或いは総論と各論の違いをはき違えている。
その人の全体を問診し、そこから証を導くとなると、それはその人の体質を導くことになる。
感冒で内科に行き、冷え性体質だからと言われてもなぁ。おかしいだろう
腰痛で鍼灸院に行って、冷え性体質だからという解はは成り立つのか?
な・り・た・ち・ま・せ・ん。
それは寒邪の痛み方、寒邪特有の増悪、緩解因子、その他の寒邪の機序をあらわす腰痛だから成り立つわけである。
つまり冷え性体質は寒邪が入りやすい傾向にあるが、今の腰痛は寒邪が入ったたものかどうかの証明には全くならないということである。
そこで、体質論は重要だが、目下の苦痛の因かどうかを必ず検討しなければならない、ということになる。 検討なくして、体質論から治療にはいるのはいかがなものだろう。
明日は学生にこの辺を理解してもらうよう講義しよう
※新着時期を過ぎると左サイドバー《院長の呟き》に収められています。
2020/10
この間、週刊誌をチラ見していたら「へぇー」という記事が眼に留まる。
時は平安時代、摂関政治の権化というべき藤原道長は実は摂政・関白の地位に就いていないというのがそれ。
ちょっとびっくりした。左大臣についているのだが、それ以上の地位は望まなかったようだ。
3人の皇后を出し、藤原全盛期の象徴のよう御仁にしてはいささか腑に落ちない。
最高権力を手に入れ、意のままに政治を動かすことが王道の常識と考えるのは古今東西変わらないと思っていたが、そうでもないらしい
当時の常識は通い婚(夫が妻の家に通う)であり、子供は母側の家に住むのが習わしであった。それは知っていはいたが・・・
どうも皇室もそうらしく、幼少期は内裏ではなく、母方の家に住んでいたようだ。
であれば時の皇后を3人輩出した道長は皇后、皇子と同居していたということになりはしないか。
外戚の長として皇子を幼少期より見て、様々な手法で精神的に優位に立つことは十分に予想がつく範囲であろう。
ましておじい様のお蔭で帝の地位に就いたとなれば尚更にそうなるだろう。
今の常識ですべてを考えたら見えないこともある。
この例なら、当時の社会状況というか風習を鑑みなけれはならない。
伝統医学の世界でもある時期まで呪い近いものがある。
当時はこれも正統医療のカテゴリーである。
現代の常識で過去を解釈することもとても危険なことなのであろう。
※新着時期を過ぎると左サイドバー《院長の呟き》に収められています。
2020/10
「読書の秋」、何とも秋の深みを表した言葉ですね。
秋は自分を深める季節ということでしょうか(*`艸´)ウシシシ
昔、師匠に言われました。「お前はアホだから、毎日一冊は本を読め」と
その通りでございますが、なかなか一日一冊はきつく、それでも年間で100〜150冊ぐらいは読んだしょうか。
最近は乱読よりゆっくり読むになり、年で30冊ほどしか読まなくなりました(笑)
そのせいもあってか、文章は早く書けるようになりました。
短文なら横浜〜大和まで間で一本書き終えます。
ただ、手が不器用なので誤字が多いのが欠点
このHP左サイドバー上段にあるアメブロも、この間数えたら2000本を優に超えました。
読み返すとその時々の患者さん、スタッフなどの顔が浮かび、なかなか贅沢な時間を過ごすことが出来ました。
その時々の思いや感情を書く機会が持てたことは非常にありがたいことです。
お暇なときにでもご一読してみてください。
これが目印
アメブロ
※新着時期を過ぎると左サイドバー《院長の呟き》に収められています。
2020/10
老化は避けたい
でも避けられない。
すこしでも引き延ばしたい。
こんな気持ちの中で定着したのがアンチエイジングという言葉なのでしょうね。
BSのCMを見ていると半分以上が健康・美容に関わる商品の宣伝です。
最後に「今から30分オペレターを増員して」、煽りますね
●老化は東洋医学の眼から見るとほぼ腎精の不足というカテゴリーに属します。
足腰の軟弱化、行動の鈍化、視力・聴力の減退、生殖機能の低下、免疫機能の衰え、軽いものでは白髪が増えるなどが腎精不足で顕著になりますから、老化とダブることがわかると思います。
実はこれ、気持ちの持ちようというか心の置き方で変わってきます。
腎精不足の前段階である腎気不足は不安や恐怖で確実に消耗していきます。
僕は高所恐怖症なのでこれが良くわかります。
吊り橋か何かを渡る際(大きな歩道橋でも同じ)に良く内もものところがスース―とした感覚になります。これは腎の経絡の気が不足したときに起こりますが、他にも20階以上のホテルで宿泊したときに、窓の近くに行った際にも同様の現象が起こります(基本行きませんが( ^ω^)・・・)。
吊り橋やホテルでの恐怖なら一過性なので問題ないですが、これが日常的にあるなら、腎の経絡の失調ー腎気の消耗ー腎精不足=老化という流れになってしまうわけです(だから、タワーマンションには住みたくない買うお金もありませんが・・・)。
恐怖心はほとんどのケースで一過性で終わりますから、まだ良いとしても、これに近い不安感となると、恒常的に持っている方を見かけます。環境のなせる業という側面もありますが、本人の思考で常に不安感の方に心を傾ける人も見受けられます。俗にいう心配性、取り越し苦労といわれる類です。現実にまだ起こっていないことに「起こったらどうしよう」と不安を感じているわけです。
心の置き所は大事ですよね。
今日あった不安なところに眼を向けるのではなく、楽しかったことにフォーカスしてみてください。
「小さな小さな楽しいこと」で構いません。
出来れば楽しいことを見るけるような習慣を身に着けてもらえれば、と考えます。
●今日うちのビビり症の半飼い猫が、なぜか僕の布団の上で寝ていたことで妙に嬉しくなった次第です。
※新着時期を過ぎると左サイドバー《院長の呟き》に収められています。
2020/10
今週はなかなか考えさせられる週でした。
週初めから自宅のWi-Fiが故障し、電話もNETも繋がらない状態
今日やっと復活したわけですけれども、その間に世間では東証のシステムとトラブルによる売買停止、アメリカ大統領のコロナ感染とあり得ない出来事がつぎつぎと入ってきます
感じたことは日常で「当たり前になっていることが、実は当たり前ではないということ」です。
消費者として当たり前にスーパーで食材を買い、当たり前のように家で映画を見て、当たり前のようにネットを使い講義をする。
●お金を払っているから当然だ、という消費者最強論は全く成り立ちません。デフレ下の幻影です。
ひとたびインフレが進んだり、物がなくなると、お金の価値は大暴落しますから。
祖母が言うには戦時中に畑をやっていたらしく、都会の方が食べ物を分けて欲しいと訪ねてくることがあったそうです。物々交換ですね。それも1週間ほどの野菜と高価な時計などが対価交換です。
話を戻しますが、この現代の有り様は、強大なシステムの上で成り立っているわけです。そしてどこかの工程でトラブルがあると、即座に当たり前のことが出来なくなります。
心の置き方の問題ですが、先の当たり前を成り立たせる工程のことに思いを馳せ「ありがとう」とひとこと発してみることにしました。
実際、患者さんが途切れず来てくださることで、僕の日常の生活が成り立ち、充実感を憶えることが出来ています。
IT音痴の僕が例えばZOOMで講義できるのもいつもS君がお膳立てしてくれるからなのです。
本当にありがたい話です。
だから「ありがとう」
お互いがありがとうって言い合える社会なら、さぞ風通しの良い社会になるでしょう。
そんなことを感じた週でありました。
※新着時期を過ぎると左サイドバー《院長の呟き》に収められています。
2020/9
来月から某鍼灸専門学校に出向く。
毎年のことだが、どんでもない奴や将来の大物に出くわさいか?と眼で追っている。
だいたい将来有望だと思う子は2割ほど。
「こいつは凄い」と驚嘆する子となると5年にひとりぐらい。
ときおりこちらに眼力がなく、後からぐんぐんと伸びる子も隔年置きぐらいでいる。
できる子の特徴はディテールを気にせず、大まかな概念から捉まえ、逐次軌道修正していく。
できない子の特徴は大枠として捉えることが苦手。ほんのちょっとの差ではあるのだが・・・
そしてテストが終わるとすべて終わる(〃艸〃)ムフッ
卒業してに後に悔いても「あとの祭り」である。
本当の「あとの祭り」とは、僕は終わった後(テストの後など)に総括してみて、己が短所を把握し、長所に変えてゆく方法論を練ることにある、と思っている。
そしてそれが出来たら自分やその環境をくれた周り方々に感謝する。
この習慣を身に着ければあとの祭りが後に祭るに変わってゆく。
そしてあらゆる経験が血肉になる。
社会人で最も大事な素養のひとつになる。
※新着時期を過ぎると左サイドバー《院長の呟き》に収められています。
2020/9
※皆が〇〇だと言っている。
※常識的には〇〇だ。
※普通は〇〇だよね。
僕はこの皆が、常識的には、普通はという常套句には注意を払う。
多勢に無勢というか、少数派の意見を潰すときや大勢に従わせるときの「黄門様の印籠」になりかねないからである。
こういう言い回しの裏にある「私たちは絶対に正しい」という意見(思い込み)に違和感をおぼえてしまう。
正しさとは、すごく難しい問題で、すごくデリケートな問題で、立場(立ち位置)が異なれば、様ような正しさがあるものだ、と個人的に思っている。
最近はマイノリティー側に立った時に多数派と折り合いをつけるスキルを身に着けていないと息苦しい世の中になってきたように思う。
多数派側の中でも自分の意見をしっかり持ち、それが世間と同じだという認識を持つ方もあろうが、何の考えなしに世間と同調することは如何なものであろうか
落ち着いて自分の意見をまとめる余裕が欲しいものである。
でないとお上が情報操作しやすい国になるという危機感をおぼえる。
※新着時期を過ぎると院長の呟きに収められています。
2020/9
いつも安定した心持ちでいたいと願う。
日常の中で小さな事件がそれこそ毎日あり、なかなかどうして平常心を保つことは厄介。
昨日は実験的にうつ伏せになりながら肺の負担を軽くして、その後に呼吸を使って督脈に気を流すようにしてみた。
意外に熟睡する(2時間ほどだが)。
いろいろ試しているが、やはり肺気の調整が精神安定には最も適するように思う。
まぁ、本来なら「君子危うきに近寄らず」で、色々なことに首を突っ込まないのが王道だろう。
ただ君子ではないのでこれが何より難しいのだ
せめて漢方家らしく体に表れないようしたいと思う。
とくに怒りと不安は免疫系の不調和を促進するので気をつけたい。
※新着時期を過ぎると左サイドバー《》に収められています。
2020/9
愛猫が亡くなって10日余り過ぎた。
やったこさ心が落ち着き始めた。
最初の3日くらいは僕自身が出棺したのに、家に帰るといるのではないか?(いて欲しい)という錯覚に陥る。
臨床家なので、ベッドサイドにいる時だけは元気が出るが、終わるとヘロヘロする。
亡くなった時点では精一杯愛でていたので後悔はなかったが、もっと遊んであげれば良かったという気持ちになる。
弱音を吐かないが、正直患者さんに助けられている感が強い。
今日も初診も陰部神経痛の方。
しっかりした説明で喜んでいただく。
かなりしっかりした説明ができたので僕も嬉しい
僕の顔色や立ち居振る舞いはスタッフの士気に関わる。
僕の精神状態は治療の優劣を左右する。
僕の感情の起伏は塾の後進200人に影響する。
※新着時期を過ぎると左サイドバー《院長の呟き》に収められています。
患者さんとさらに前を向いて歩きたいと思った次第である
2020/8
例年なら帰省ラッシュがもうすぐです。
今年は飛行機、新幹線を外しお車で帰られる方も多いことと思います。
僕は悪名高い???都民(冗談であって欲しいのですが)なので帰省先あるいは旅行先に緊張感を走らせるわけにはいかないので巣ごもりします。
意外に注目されていませんが、公衆トイレは気をつけてください。
換気のよいところもあればそうでないところも多々あります。
とくにサービスエリアなどのトイレは人の出入り間隔の短いものです(とくに女性トイレ)。
綺麗な言い方ではありませんが、前の方の臭いが残っているようなら念には念を入れ避けるのが賢明かと思います。
しかし、自然の摂理には逆らえないものですか、そのようなときにはN95マスクをするを付けることをお勧めします。
配慮をしながらも楽しい休暇を送っていただければ幸いでございます。
※新着時期を過ぎると左サイドバー《院長の呟き》に収められています。
2020/8
あれがあればもっと良い成績を残すに
もっと良い家に生まれれば苦労しなかった
あの時点でこっちを選択すれば人生変わったかも
過去を振り返っても戻りはしません。
ないものねだりしても埒があきません。
今の今を生きるしかないわけです。これが真実というか事実です。
一度に胸に手を当て考えましょう。
自分が今もっている持ち駒を心底生かし切っていますか
笑顔、丁寧さ、きめの細かさ、おおらかさななどの個性に関わるものかたい体力まで、探せば幾つも出てくるでしょう。
生かし切っていたら過去を振り返る必要はないはず。
権威に頼ることもないはず。
自分への戒めでもあります。
あれこれと望む前にとことん臨んでみてはいかがでしょうか
※新着時期を過ぎると左サイドバー《院長の呟き》に収められています。
2020/8
僕には4つの顔がある。
※メインはもちろん鍼灸師として臨床に立つこと。
※サブは薬局(漢方専門)の代表取締役としての雑務。
※適度に楽しんでいる仕事として鍼灸専門学校の非常勤講師。
※裏メインとして塾を運営しながら後進の鍼灸師の指導に当たること。
ときおり顔を変えることによって臨床のストレスを教壇で晴らしたりできるの調和ができているように思っている。
また、この4つとも伝統医学、中医学という共通項で彩られるので臨床での気づきが教壇でも生きるという構造になっている。
僕には子供がいないので若い鍼灸師さんたちとの付き合いに中で先生の眼から親の眼に転じることもあり楽しい。(おっとー、今日は体外を予定した方が自然で妊娠反応が出てくれたので内心ガッツポーズ)
自分でいうのも癪だが、僕は頭が悪い
ただ、環境設定能力は高いと思っている。
20数年前だが、自分が下手な講義しかできなかったときは、月一回講義しなければいけない仕組みを作った。
臨床家として腕が悪いと思っていた時は、あえて一番細く小さい鍼しか置かなかった。こうすれば力技で治療できなくなり、技術力がないと患者さんのついてくれない。それは院の存亡にかかわるから困る。必死で技術力を上げるしかない
つまり環境設定能力とは、頭が悪く努力も嫌いな僕でも、やらざるを得ない環境を自ら作るということを指す。
初めは無意識でやっていたが、途中から気づき意図的にそういう環境を作るようになる。
非常勤講師だけは別、有名な某中医系の先生がお辞めになって困っていた母校からSOSが入り、1年だけの約束で引き受ける、何故か15年になってしまったが。そのうち他校からお呼びがかかり、日に掛け持ちのときもあった。
人それぞれだと思うが、下手だからうまくなりたいと思うには火中の栗を拾いに行くシステムをつくると良いと思う。進歩するかどうか悩むより、進歩ぜざるを得ない状況を作ってしまうことである。
とくに僕のように「頑張ろう!」と意識するほど空回りする人には良いシステムである。
※新着時期を過ぎると左サイドバー《院長の呟き》に収められています。
2020/7
3年前にアメブロに書いたもののリブログである
徒然草を持ち出すまでもなく、自然は無常であり、常に同じ状態はないという法則性のみは不変である。自然を大宇宙、人を小宇宙と捉える伝統医学を標榜する者なら、当然に人も自然のうちであるから、無常の枠内と捉える。
今の自分と1時間後の自分とは違う。
ただ時折、人は執着という魔物に襲われる。
執着とは過去の失敗、恐怖あるいは死別や栄光を絶対化すると成り立ちやすい。
カウンセラーの先生や鍼灸師の先生(?)から執着を捨てなさい、と言われる。
すてられない、無理である。元々ないのであるから。
執着は私に着くのではなく、私の名前にしか付着しない。
おなじ体験は二度と起きない。過去と似ている体験というのが限界だろう。したがって新たな体験しかできないのである。となれば逆に過去の成功体験に固執することもできないということになる。
社会の自分の役割が大きくなると、不変の自分を忘れてしまう。ネコの額で解ることが解らなくなる。複雑な思考に長ける分、シンプルな信実を落としてしまう。
こういう人が実に多い。成功体験に固執する
これが集団化するとややこしい。
大企業から国まであらゆるところで見られる。
歴史から見れば疫病に天変地異が加わると、戦争あるいは大不況と繋がってゆく。
激動の中にあっても「変わらない私が」旧態依然とした施策を行っているようでは滅亡に向かっちゃうしかないでしょう
疫病から滅亡までの過程が法則性のように言われるのは、人がいかに無常なものかをすぐに忘れてしまうことの証左であろう。
変わりましょうではない。
変わっているのです。
意識だけは錯覚し変わらないと思っているだけなのです。
〜立場を変えたり、自分に付いたレッテルを剥がしたりしながら意識を揺さぶらないと〜意識は無常の中の不変になってしまうように思う。
※新着時期を過ぎると左サイドバー《院長の呟き》に収められています。
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休診日:水曜日・金曜日・日曜日・祝日
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