漢方(かんぽう)は日本伝統医学の一般的な言い方ですが、その名称の誕生は、比較的新しく江戸時代中期あたりです。
この時期、オランダを経由して新しい医術(西洋医学の前身)が輸入されます。これを蘭方(らんぽう)と呼び、以来元々あった伝統医学を漢方と呼ぶようになります。
それまでは、ただの方(ほう)、あるいは医方(いほう)と読んでいます。ひとつしかなかったので、区別する必要がなかったわけですね。
方には医学あるいは医術という意味があります。
西洋医学に投薬、手術、注射、リハビリなど の治療方法があるように、漢方にも治療方法があります。漢方薬、鍼灸、按摩、気功、薬膳などがその治療方法に相当します。漢方薬だけが漢方の治療ではありません。
漢方や鍼灸などの治療法は、当然ながら、漢方の理論に沿っておこなわなければなりません。注射や手術が西洋医学の理論に則りおこなうのと同じです。
漢方の理論は、中国の古代哲学である陰陽五行論と天人合一の考えが基本です。
陰陽論は、ものをふたつに細分化してゆく思考法です。対象を不可分と認識しつつ、陽的性質と陰的性質に分けてゆくいます。01.01が基本のコンピューター理論に近い考え方です。 たとえば内臓は、陰的性質の臓と陽的性質の腑に分けてゆきます。
五行論は自然界に5つの性質(木、火、土、金、水)があると考え、それぞれの臓腑・器官は、この5つの性質をもちつつ、その混合比率の違いにより、特有の性質を有するようになるという考え方です。
大きくいえば、猫になるか人になるかもこの比率で決まります。
天人合一は、自然界と人は同じ性質をもつという考え方です。ツボの名前に×谷、×山、▲渓、◇風などがやたらに多いのは、自然界との一致を考えたからに他なりません。
1年が365日、ツボは365穴(時代により変遷があります)、月の満ち欠けは28日、陰を代表する女性の生理周期は28日です。
これらの考え方を基礎に発展し続けた医学なのです。 漢方というものは。
○漢7代皇帝武帝は、儒教を国法と定め、解剖学を禁止します。これ以後、見えるところから内臓などの中側を推察する診断法が発達してゆきます。
鍼灸院へゆくと、最初に手首のところの脈を診るのは、臓腑の状態や気血の流れを脈という触れることが出来る場所から推理しようとしているのです。間違っても脈拍を取っているのではありません。
○唐代には仙家思想が加わり、不老長寿を求め、錬金術が発達します。この過程で、現在でも使われている漢方薬がたくさん作られます。また西域との交流が盛んになり、それまで中国にはない生薬が入手出来るようになります。
○宋代に新儒教というべき朱子学が提出され、後に金元医学と呼ばれる新発見の思想的基礎が出来ます。
○この金元医学の成果を取り入れたのが戦国〜江戸の漢方です。後世派(ごせは)といいます。
○大陸ではその後に明清時代へと移ります。とくに清代では温病学とそれに伴う舌診という診断法が確立したのですが、我が国では江戸幕府の鎖国時代に入り、認知されるのに昭和まで待たなければなりません。この間200年は悠にあります。
○この明清までの成果をまとめ、整理して、西洋医学のシステム論で再構築し、近代教育に載せたものを中医学といいいます。厳密には、元々の中国伝統医学と区別が必要です。
☆☆☆漢方という名称は比較的新しいものの、その医術は古く、平安時代には、すでに宮廷内に医科大に相当する教育システムがありました。
あるときは先端の中国伝統医学を輸入し、またあるときは輸入を止め、独自にアレンジしながら発展させ、また最先端の医学を輸入して、新風を起こす。この繰り返しが漢方の歴史といって過言ではありません。
元来、漢方を学ぶには漢文に知識が不可欠です。今でも漢文もしくは中文で医書を読めないのならお話しになりません。当時漢文に秀でていたのは、お経を読んでいたお坊さんですね。つまりお坊さんが医者を兼ねていたわけです。テレビで時代劇を見ると、江戸前までは医者が袈裟を着ています。 もちろん頭は坊主です。
お坊さんは偉大です。医者であり、文化人であり、最高の知識人でもあります。
公衆衛生を定着させたのもお坊さんの力です。お寺にお風呂をもらいにゆくとき、着替えを包んだ布を風呂敷といいますが、当時は蒸し風呂で、お尻が焼けないように、その布を下に敷いたことが風呂敷の由来です。歯磨きの習慣もお寺経由です。
江戸時代に儒教(朱子学)が盛んになると、儒家は当然漢文を読むわけです。この人達の一部が医者になります。これを儒医といいました。服装も袈裟から裃に変わりますね。☆ちなみに今、様々な事件で話題のお相撲も、江戸時代の行事さんは裃です。明治になると神主さんのような服装に変身します。
○明治に入ると、事情が一変します。ヨーロッパ以外のものは古くてだめだ、これからはヨーロッパに習おうという論調が多数派を占めます。
漢方も例外ではなく、西洋医学を修めないと、医師免許が交付されなくなりなります。試験科目がすべて西洋医学の科目になり、漢方を勉強しても医者になれなくなったわけです。
それ以後、衰退期を経て、昭和〜平成と再復活を遂げるわけですが、その間漢方薬と鍼灸の理論である漢方理論が別々に発達してしまい現在に至っています。
中国、韓国にはそれぞれの伝統医学を教育する六年生の医科大があります。アメリカ、カナダにもそれに準ずる施設が出来つつあります。
経済同様、伝統医学のバラガゴス諸島といわれる日が来ないことを切に願って、長文になりましたが、締めといたします。ありがとうございました。