2020/11
このHPでは二度目の登場となる杉山先生のお話。
以前、鍼灸OSAKA99号の見開きに、日本郵趣協会湘南支部が杉山和一先生の切手を発行したという記事が載る。
その年は杉山和一没後400年になるそうだ。
毎年、墓参する杉山先生のお墓は江ノ島にある。ここは杉山先生の江の島・針管発明伝説の地で、後世の検校がその功績を称え分骨したものらしい。
後に検校に大出世する杉山和一は、あることで世界史にその名を後世に刻む。
針管(鍼の痛く打たないための道具)の発明者???そんなことで世界史にのるはずもない。
検校とはいわば盲人協会会長。江戸と京都に検校がいたので、杉山先生は江戸の検校。今なら東日本盲人協会会長の位置。
当時(江戸時代)、盲人の方には按摩、琵琶などの演奏者、そして金貸しという3つの職業的特権が与えられていた。これらの職業は、すべてギルド制で、上に上納金を支払うシステムで成り立つ。
その頂点が検校であり、その最下層組織が座である。その座のTOPが座頭。
杉山はその頂点である検校で、その財力は5万石とも10万石とも言われる。ということは、むちゃくちゃお金持ち
いいですか!10万石というのは年間10万人を養える財力という意味ですから!!猫二匹しか養えなえなかった私には想像がつかないほどの金持ちということ。
ちなみに座頭の有名人には「あっしには、関わりのないことでござんす、バシッ、バシッ」と悪者を退治する座頭市がいる。
杉山はその財力で、盲人の職業訓練学校を作る。これが後に幕府の公認を受け、世界最初の国立障害者職業訓練校となる。この功績より杉山検校は世界史に残るのである。
日本が世界最高の盲人福祉国家といわれる所以はこの杉山和一先生によるところが大なのです。
お金も使い方次第ということでしょうかね。
何がためにお金を使うのかを考えてみたく思います。
※新着時期を過ぎると左サイドバー《漢方の歴史》に収められています。