曲直瀬玄朔 戦国勇者が命を預けた男

曲直瀬玄朔(まなせげんさく)は戦国〜江戸にかけて活躍した医者である。養父は曲直瀬道三(まなせどうざん)といって、後世派(ごせは)の創始者でした。以後、明治維新を迎えるまで、医学界は、この後世派が主導権を握ることになります。

玄朔は当時の有名人をことごとく診察しております。家康(徳川)、秀次(豊臣)、利家(前田)、淀の方など数え上げたらきりがありません。この臨床報告集が、。『医学天正記』という名で残っています。それを見ると、秀次と淀の方の症例が突出して面白い。時期は違うが、二人とも『気鬱による喘』を患う。今流にいえばストレス性喘息発作あるいは心身症により呼吸困難といったところです。
関白秀次は、先の関白で当時の絶対権力者である秀吉に待望の子供(秀頼)が生まれた2ヶ月後に診察で、淀の方はちょうど徳川との権力闘争の渦中の診察であります。お二方ともガチガチのストロング・ストレスが溜まっていることは想像に難くないですね。
この本の愛読者であった司馬遼太郎氏は、この臨床報告から、淀の方が常に不安でイライラした状態にあったと推察し、小説の中で(確か太平記だと記憶する)、眉間にしわを寄せ、マユを吊り上げた淀の方の像を描く。それ以来NHK大河ドラマを始め、民放各局も淀の方のメークは、吊りマユ顔が基本となる。 美人女優を配しても綺麗に見えないのこれによるのだ。
さすがは司馬遼太郎、ただ者ではない。病気から性格を推し量るとは。