久しぶりに大阪に講義に出かけました。熱く中医学を語ってくれた鍼灸学生さんに引き込まれるように出向いて行きました。関西は7年ぶりです。
皆さんの大阪のイメージは、商売の街、吉本、阪神タイガース、太閤はんあたりでしょうか。
私にとって、子供の頃叔母に「足を鍛えるため」という理由で通天閣を階段で登らされた記憶があるトラウマの街です。
また梅田を歩くと、人に2.3回ぶつかります。「なぜ、大阪の人は真っ直ぐ歩かないのだろう」。
それは私的なことなので、関係ありませんが、とにかく大阪の歴史を調べると、予想以上に凄い街です。
実は日本最大の国際都市が大阪、正確には難波(浪速)であったことはあまり知られてません。
難波(浪速)の由来は諸説ありますが、古い記憶では神武天皇が住吉大社沖の海を見て波が速いと仰せになったことが由来だと記憶します。
神武天皇ですよ。あまりに古いですね。
日本は国際化、鎖国を繰り返す国です。
平城京以前は国際化の時代、平安京以後は鎖国時代です。国際化ではその首都は世界につながる場所でなくてはなりません。難波は瀬戸内海に面し、瀬戸内海は外海つまり世界とつながっています。
また首都は大量の人を養うため、平野と水が必要です。この点でも広大な平野と後ろに琵琶湖をもつ難波は適しているのです。
大化の改新以後、難波宮つまり難波に首都が置かれたことは、重要な視点ですが、あまり知られていません。もっと古代では仁徳天皇陵がありました。あれは海から来た外国船が最初に見える巨大モニュメントという意味があったという説も聞いたことがあります。
中国・朝鮮から文化を吸収しつくしたところで、実質的鎖国に入ります。
ここで独自の、例えば中国・朝鮮ではあり得ない小説文化である「源氏物語」などが生まれることになります。
鎖国したので実質上軍隊も解体します。首都は海に面す必要もなくなり、山の後ろ(山城)に引っ越します。これが山城の国、今の京都であり、平安京ということです。
徐々に藤原氏が勢力、財力を独占し、天皇家というか政府は困窮を極め、全国の騒乱を鎮めることができなくなります。そこで自分の財産は自分で守る武装農民が出現します。これが武士です。
京都より有史をもった難波をもう少し歴史的に見直して良い時期に来ているような気がします。
大阪の鍼灸師の皆さんには、世界をリードするような大業を期待しております。