2020/11
28年前の話。
開業して1年間は西洋医学の本は読まないと決めていました。
伝統医学の本ばかり読みました。わからないこと、疑問に思ったことは伝統医学の眼から解決するという企みです。
当時伝統医学より知識量の多い西洋医学に流されたくないという思いからですね。ちょっと極端ではありますが
この背後にある視点は?
入力する情報の質量が、思考に影響し、伝統医学の概念形成を進め、より伝統医学的思考方法が身に着くと考えたからです」
これをしないと西洋医学と伝統医学をチャンポンにしたご都合主義的臨床家になるにを恐れたからです。頭の中の一定程度は西洋医学(近代の常識)から伝統医学の世界観にチェンジするために必要な処置だと考えました。
臨床の時だけ伝統医学ではなぁ底浅になる。 今は文脈の違いを意識しながら、思考出来るようになりました。ハイ
〜常識の違いが争いのもとになることも〜
以前『中医臨床』誌の原稿をお弟子さんに依頼したところ、何かの比喩にサッカーの喩えを用いました。
ボランチがどうの、スルーパスがどうの…いつもサッカーの情報を入れるため、世の中の人が、この程度の知識があると考え、比喩に用いたのでしょう。
つまりサッカーの一般用語は世間の常識と考えたわけです。
とんでもない間違いです。 と言う私もやらかしています。以前「医道の日本誌」何かでプロレスラーを比喩に痰飲の話を書いたことを覚えていた方に、どこかの講演会で叱られました。 プロレスラーの比喩なんて不潔と最後に付け加えられたのには目を丸くしましたけど…ほっとけ!(^〜^)
自分の中の常識は下位情報の仕入れ方やその量で決まるという側面もあるという認識を持つと良いと思います。
良く悩んでいる、怒っている人をみますと相手との認識(常識)のズレを感じることがあります。
常識の違いに折り合いをつけるべきで、悩むことも怒ることないケースもあるのです。

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