2020/11
年初、某学校授業でのお話。
「気ってなんだろう?気がよくわからないうちに、気を基礎にどんどん授業が済んでいいて面食らったということ???」という感想があった。
うーんこれはよくわかる気がする。
実は僕もそうだったから!
30年前に北京な大きな体育館で中国中の気功家が一堂に会したイベントを見に行ったことがある。 何人かの気功の大家が、観客席に向かい気を放ち観客が倒れたり揺れたりするのを見た。
マジかー
僕は言葉がわからないので全くなんの変調もないのだが、周りの異様な雰囲気を察し揺れるふりをしていた。
揺れなければ申し訳ないと感じる日本人らしい気の使いようだ???
言語の壁が存在するのなら、集団催眠以外の何者でもない?というのか実のところの感想。
日本人は一般に気を不思議、不思議なものと考えやすい。
ちょっと前なら悟空のカメハメ波やケンシロやラオウが纏うオーラのようなものと考る???かも。
鍼灸医療で用いる気はもってもっと狭く規定する。
唯物論で語られ、6つの作用を持ち、現象として鍼を刺した時に響きとしてで得られるものを指す。 つまり不可視であるが、鍼を以て捉えられるものである、と考えている。
そこから入らなければ、よほどの匠か、もとより感受性の高い人でないと、いつまでもわからないものになる。
概念から入り、臨床の中で実感して行くのがセオリーであろうか
※新着時期を過ぎると左サイドバー《院長の呟き》に収められています。