2020/10
この間、週刊誌をチラ見していたら「へぇー」という記事が眼に留まる。
時は平安時代、摂関政治の権化というべき藤原道長は実は摂政・関白の地位に就いていないというのがそれ。
ちょっとびっくりした。左大臣についているのだが、それ以上の地位は望まなかったようだ。
3人の皇后を出し、藤原全盛期の象徴のよう御仁にしてはいささか腑に落ちない。
最高権力を手に入れ、意のままに政治を動かすことが王道の常識と考えるのは古今東西変わらないと思っていたが、そうでもないらしい
当時の常識は通い婚(夫が妻の家に通う)であり、子供は母側の家に住むのが習わしであった。それは知っていはいたが・・・
どうも皇室もそうらしく、幼少期は内裏ではなく、母方の家に住んでいたようだ。
であれば時の皇后を3人輩出した道長は皇后、皇子と同居していたということになりはしないか。
外戚の長として皇子を幼少期より見て、様々な手法で精神的に優位に立つことは十分に予想がつく範囲であろう。
ましておじい様のお蔭で帝の地位に就いたとなれば尚更にそうなるだろう。
今の常識ですべてを考えたら見えないこともある。
この例なら、当時の社会状況というか風習を鑑みなけれはならない。
伝統医学の世界でもある時期まで呪い近いものがある。
当時はこれも正統医療のカテゴリーである。
現代の常識で過去を解釈することもとても危険なことなのであろう。
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