順其自然」とは自然に従うということ。ここでは自然の摂理を学びながら、それを行動指針に据えるという意味で使っています。
元々中医学は自然観察から、論理を抽出した医学ですから、自分としては馴染みやすい。
例えば「なぜ花がしっかりと綺麗に咲いているの?」という問いなら、 それはね、根がしっかりと張り、大地の栄養をふんだんに吸収しているからだよ。
つまり花の状態から根っこの状態が推理できるのだ、という論考が成り立つ。
だから、わざわざほじくり返して、根っこを見なくてもいいんんだよ。つまり、解剖しなくていいんだよ的な論旨も成り立つ。
また、もっと正確に内部の状態を把握したいという欲求から脈診や舌診、また日本では腹診という高度な診断術が形成される。
韓ドラ時代劇では、妊娠したい宮女が月の気を体内に入れるため、夜中に外で大きく深呼吸する場面が出てくる(チャングムでもありました)。
これは月の陰気を体内に入れ腎陰を強くするための伝統的手法です。
近代に近くなると、足の裏の勇泉を待女に押させるシーンに変わります。
今ならHCGの注射をお尻にでも打ち、40時間以内に排卵しますという、感じになるのでしょうか?
食事もそう、体調により食べたいとか、あまり食べたくないとありますね。
ただ、社会(最小単位が家族)生活の中ではそうそう個人の事情を優先することはできませんね。
そこに個人と社会のずれが生じるわけです。
個々の体の状況を常に感じながら、社会と折り合いをつけて行く。
このような視点が大事なのではないかと思うわけです。