2013/6
だまされる奴が悪い。最近よく耳にする言葉ですが本当かな?と考えてしまいます。
これは他民族国家の思想ですね。たとえばアメリカの、中国の真理だと思います。
つまり、我が国でも思想が、意識がアメリカンナイズされたことに伴い信憑性を持つに至った言葉だと感じます。
多民族国家では地域により宗教、思想、生活習慣の違いが出ます。
そこでお互いのトラブルを未然に防ぐため、細かな契約がなされるわけです。
ところが人に信を置き、信じたら、相手の常識に任せるこの国では、契約は阿吽の呼吸であり、事実契約書などは形骸化します。
私自身人を雇用する際、履歴書の提出を求めたことなどありません。また講義や原稿を頼まれても、その報酬額をこちらから聞いたことはありません。
大事なのは相手が信じるに足る人物か否かという視点だけです。その観点からなら、失敗して自分の眼がなかっただけで済みます。
しかし、昨今は意識が多民族国家のそれに近づき、人を疑ってかからない特性を利用し、上手に自分に利益誘導をする方も増えたような気がします。
こういう人から見ればだまされた奴が悪いということになるのでしょうね。
そこで、お任せではなく、内容の吟味を余儀なくされます。
信じるも、人の多面性を認め、是は是、非は非ということに慣れて行きたいと思います。
いい人ではなく、判断力のある人になりたいと思う今日この頃です。
いい人であるため、安請け合いをする必要はありません。
断る勇気も必要なのですね。