母校や塾で学生を教えていると、基礎的な質問に一瞬言葉が詰まることがある。
いつも使うものは忘れようもないが、何年に一度しか使わない理論や言わないことがうる覚えになっており、我ながら愕然とすることがある。
とくに人の名前などは最たるものである。ほら傷寒論をひっくり返して・・・腹診を提出して・・・古方派の雄・・・あの人、あの人という感じである。(関係のないときに思い出す。吉益先生非礼をお許し下さい)
臨床では得意な疾患、独自の理論など、いわば突出したものがあっても構わないが、むしろあったほうが自信を持てて良いようには思う。
しかし、基礎理論は柔軟に満遍なく修めるに越したことはない。そこで数年一度は基礎本を読み直すことにしている。
一気呵成に読む。
すると結構、記憶違いがあったり、忘れていたことを思い出す。
ときおり、自分が日頃考えていることを重ね、さらに上積みした気づきに出会うこともある。
中道性を保ちながら突出部分を積み上げる感じであろうか。
先日、急にお腹が痛くなり(食滞)、近くのパチンコ屋さんのトイレを拝借する。
トイレですっきりした後、あたりを見渡すと、漫画本が大量にある。『北斗の拳』が全巻揃っている。
一気呵成に読む。
過去10回は読んでいるのだが、ユリアにお兄さんがいたことを初めて知ることになる。
読書の楽しみは読む度に違った側面が見えることにもあるように思う。