人それぞれには大事な品がある。
頑張って手に入れた物、愛しい人からもらった物などは、思い出も深く、慈しみながら扱う様子が見えてくるようだ。 しかし身近にもっと大事な宝物がありはしないだろうか。自分のからだという宝物である。 この唯一無二の存在を大事にしない人が殊の外多いのには驚く。 大事な品同様に慈しみをもって接することをしない。 親がいて、その親がいて、そのまた親がいて、という連綿とした命の継続性の中で、今ここに存在するという実感がないのだろうか。 考えればもの凄いことで、感謝せずにはおれないのに。 からだは頭の従属物ではなく、車で言えば両輪にあたる。
頭だけが暴走し、からだがついて来られなくなった人を毎日見る。
手の震えが止まらない人、吐き気が止まらない人、呼吸が苦しくなる人……枚挙にいとまがない。
鍼灸の世界観では、血がからだを栄養し、かつ心も栄養すると考える。
からだの状態が回復するとともに心の安定を取り戻す人も少なくない。
毎日のからだの状態に素直に耳を傾けよう。
そういう《ゆとり》こそが養生の要なのである。
