中国.青島〜泰山〜曲阜 |
山東省は初めてである。JALマイルを利用し、直行便で青島まで飛ぶ。
青島〜泰山〜曲阜を周り、孔廟で亡き孔子様にご挨拶を済ませた。道家を支持する身でありながら、儒祖を敬うのかとお叱りを受けそうだが、そんなつまらないことは気にしない。敬意に思想を持ち込むなどは愚か者の所業だ。
青島は山東省第2の都会である。田舎の地方都市と聞いていたが、7百万の人々の住処だ。視界に海の広がる空気好(kongqihao)の街でもある。
ドイツの旧租界地が現存するため、居ながらにしてドイツを感じられるというお得感もある。ちなみに青島が中国ビールに一大拠点(青島ビール)となったのは、ドイツの影響もある。
泰山は知っての通り中国・五山中のひとつ、東方の名山で、寿命を司る神様が住んでおられる。歴代皇帝の庇護も厚い。「安泰」の泰の字は泰山の泰である。シンプルに言えば超がつくほど神聖な山である。
とかく石段が凄い。かなりの急勾配で、2時間はかかるだろうか?『脚に震えを感じたい』と切に願う人は是非にお試しあれ。途中の店で売る倍値の西瓜が媚薬に思えてくる。
いよいよ孔子様とご対面である。まず側近の子貢様にご挨拶を済ませ後、孔子様と対面する。すこしドキドキする…、当然だが…千の風になった孔子様は何もお答えにならない…。ただただ清々しい感覚を与えてくださった。感謝、感謝、これで十分だ。
理由なき幸福感、これが大事だと、今は思う。幸福に理由があれば、失うと不幸になるから・・・・・
帰りの青島行きの列車で色々と考える。新幹線「こだま」仕様の列車で4時間ほどで青島に着く。着いた先が大阪だったらどうしよう?ありえない
若い頃、陰陽思想や中庸思想に惹かれる。
日々悶々とする人の性ではなく、「陽の直線的な思考と陰の包括的思考を併せ持つ」人という存在に魅力を感じ、思想的繋がりから中医鍼灸を志す。
24歳、上海・外灘のガーデン・ブリッジの上であった。
時が過ぎ、自分自身がいつの間にかこのような視点を失ってしまったようだ。
昨今の世相は、陰陽の調和の乱れが甚だしい。陽的直線思考が強すぎる。戦時中でもないのに陽実証社会の到来か?と思いたくもなる。目に見えない形での慢性的戦争が続いているという表現がマッチするような気がしないでもない。
陽的直線思考は右肩上がりのグラフのような社会を構築する。上昇志向に繋がるが、どこまで行っても、さらに上があり、不安・焦燥感・苛立ちが絶えない。
このような社会では、自身の立ち位置を過去の実績に置く、エゴの強い、勝負論にこだわる人間を形成しやすい。勝ち組・負け組などという言葉がまかり通るのは、その象徴である。
国民を不安状態に置くほど、為政者にとって都合の良いものはない。政府から国有地を払い下げられた新聞社や、無意味な広告をもらい続けるテレビ局を使い、見え透いた正義を説けば、民の操作などいとも容易い。
逆に、冷静で少々では動じない国民が増えれば、ウソが通じなくなり一大事となる。政府高官、高級官僚、GS幹部はさぞ困るのではなかろうか?それには陰的包括思想を思い出すしかない。
陰的包括思想の基本は包み込みの視点である。出産直後の女性が始めてみせる母の顔に似る。
相手を思いやる優しさ、美しさを賛美する眼、より実体を大事にする視点などがそれである。少し前の「もったいない思想」もこの範疇だろう。自然を愛でる意識もこれに連なる。より実体を大事にするので、人の肩書き・実績より優しさに価値を見出すだろう。
鍼灸院には陽的直線思考に疲れ果てた人が多数来院する。個々の臨床家が目の前の患者に集中しつつ、陰的包み込みを実践するなら、孔子様も微笑んでくれるだろう。やっと初心に帰る日が来た気がする。