プロレス

  ちょっとマニアックな話です。
中2の時から現在まで毎週欠かさず購読していた『週間ファイト』が遂に廃刊となりました。愛読者としては寂しい限りです。家人は大喜びです(笑)。
 『週間ファイト』には、プロレスを考えるためのエッセンスがふんだんに盛り込まれていました。馬場・猪木対立時代には、読者の様々な意見を取り上げてくれました(国際プロレス派もありました)。
 また、八百長と蔑すまされたプロレスに思想という光を当てたのも当時の井上編集長の功績です。レスラーの強さ、悲哀、人生観などを表現したひとつのスタイルがプロレスであると…。
 最近は『K1』『プライド』 などリアル格闘技の全盛期とされています。これはこれで面白いのは事実です。しかし、それがプロレスを否定することに繋がる風潮はいかがなものでしょうか。
 【軸がひとつ?】
 ものの善悪などを考えるとき必ず基準がありますよね。つまり、何かの視点から判断するわけです。その視点がひとつしかないと、非常に分かり易いわけです。プロテスタント原理主義から見ればアメリカが正義でイラクが悪です。イスラム原理主義なら逆ですね。リアル格闘技から見れば、プロレスなんか馬鹿に見えるでしょうね。その馬鹿に見えるーそこを楽しむ視点があれば、面白いですよ。
プロレスは…。
 様々な主義主張があり、それを聞く余裕ある。そこにある相手の正義も認めましょう。そして自分の中で折り合いをつけていければどうでしょうか? 日本には七福神っていますよね。実はそういう意味なんです。解は一にあらず・・・。
  

スピ−ドガン

 スピードガンは言わずと知れた投手の球速を測る機械です。
「おっと、藤川出ました、155キロ」という風な感じで良く耳にします。
 西武松坂、横浜クルーン、巨人江川、ロッテ伊良部、阪急山口、中日小松。古くは尾崎、権藤、金田、スタルヒン。皆さんついて来られますか?


 【体感速度】
 実際は球が速いかどうかは、様々な状況で変わります。
 体より腕が遅れて投げれば、実際より早く感じます(好例ソフトバンク和田)。胸元に投げれば、顔に近いため、バットを出す始動が遅れるので早く感じます(好例西武東尾−少し古い?)。遅い球を続けた後、速球というパターンも早く見せるコツのひとつです(中日山本)。
 【実際と感覚の乖離】
 我々は数字の世界に住んでいません。感覚の世界に住んでいます。
楽しい、幸せと感じるための数字など存在しません。したがってゆとり教育なども数字化、客観化などできません。もちろん他者と比較の上で、楽しさや幸せを測ることも無理です。近代始めに欧米から幸福指数という概念が持ち込まれ、人の手に代わる機械をたくさん持つことが、幸福とされました。これが資本主義経済の拡大にどれほど貢献したかは、推して知るべしです。
 病気を認識するということは、ちょっと普通じゃないと感じたたということです。病は気の持ちようという言葉はこの辺の感覚を含んでいるのでしょう。
 

 

ちょっとよい話

 奥様が不妊外来に通い始めた友人のK君。ついでに自分の精子の運動率を測ってみることになりました。
何と30数%しかありません。通常50%以上ないと、自然妊娠が難しいとされています。「不妊はオレの問題???」  こんな例、つまり男性の側に問題があることも少なくありません。自分の責任を自覚したK君は運動率アップ作戦を敢行します。
その内容は………
 1.海馬補腎丸を毎日3回飲む。
 2.太谿に日に数回お灸を据える 、のふたつです。
 漢方の立場では、精子の運動率は腎精と肝の疏泄が絡みます。ストレス、緊張、焦りなどの心理状態があれば、肝の全身の気を促す働きを停滞させます。これを専門家は肝の疏泄失調と呼びます。運動率は著しく落ちますね。
また、腎精が転化し精子を作り出します。そこで腎精不足は、精子減少症や活きの悪い精子が増え、結果運動率の低下となって現れます。
 話を戻しましょう。海馬補腎丸を飲んだり、太谿に灸を据えること腎精にアプローチする行為なのです。ちなみに太谿は脚の内踝とアキレス腱の間の拍動部に取ります。
1ヶ月後……
運動率は70%近くになりましたとさexclamation?~2exclamation?~2???i?`???L?j めだたしめでたし。
不妊症は夫婦二人の問題です。男性も怖がらず婦人科の門を叩いて下さい。問題がなくとも女性を温かく見守ってあげて下さい。愛する人の精神的なフォローを怠らないでください。お願いします。

リアリティー

 今日から11月です。温かい鍋をつつく姿を回想しながら、心穏やかに、焦らず、怒らず、無駄なエネルギーを消耗しないようにしたいものです。
 昨日も韓ドラを見ていました(洪国栄:ホングギョン第7,8話)。  ある王様が非業の死を遂げた母の慈しんでいます。ただ、その慈しみ方が面白いのです。世間とかなりズレています。
彼の国は、王族の墓を稜(りょう)、庶民の墓を墓(はか)、その間つまり貴族墓をを園(えん)と呼びます。つまり高貴な人から順に稜−園−墓となります。我が国でも天皇家のお墓は稜ですね。小学生で習う仁徳天皇陵がこれです。
 この御坊堂は政局に巻き込まれ、罪人扱いにされました。よって墓は稜とは呼ばれず、単に墓と呼ばれるわけです。
 話を戻しますが、この王は政敵と暗闘しながら、10数年かけて墓から園に呼び名を変えました。最終目標は稜まで昇格させることです。さすが儒教のお国です。すごい『孝』です。
しかしドラマとはいえ、強い違和感を感じてしまいます。何に違和感を感じたかを後で考えてみました。
 この王様に世間がありません。正確には宮中での出来事のみが世間です。その証拠に、庶民は最初から王様の御母様の墓だから稜と呼んでいます。
 世間では、ある特定の対象にしかリアリティーを感じない人は少なからずいます。
 数学者は数字の世界にリアリティーを感じるのではないでしょうか?  この国の政治家は永田町の政局が最もリアリティーを感じているように見えます。
 社保疔は、数字合わせが目下のリアリィーではないでしょうか?  学問バカと揶揄される人もこの傾向が強いででしょう?

  病気で苦しんでいる人もそうです。リアリティーの世界が近眼的になりやすい傾向をもちます。  
臨床家を目指すなら、常に世間、人の感情、世の中の動勢などに意識を向けなければなりません。世間に流されるという意味ではありません。『下々(しもじも)の皆さん、私は庶民派だから、スパーを15分も廻りました、偉いでしょう。カップラーメンは400円でしたっけ。では、オークラでディナーがありますから、後は良きに計らってください』って感じの人がもしいたら、早く稜を作ってあげたくなります。『君子に義あり』、これは一国民からの諫言です。

心の栄養

 人それぞれに大事な品がある。頑張って手に入れた物、愛しい人からもらった物などは、思い出も深く、慈しみながら扱う様子が見えてくるようだ。
 しかし身近にもっと大事な宝物がありはしないだろうか。自分のからだという宝物である。この唯一無二の存在を大事にしない人が殊の外多いのには驚く。大事な品同様に慈しみをもって接することをしない。
 親がいて、その親がいて、そのまた親がいて、という連綿とした命の継続性の中で、今ここに存在するという実感がないのだろうか。考えればもの凄いことで、感謝せずにはおれないのに。
 からだは頭の従属物ではなく、車で言えば両輪にあたる。頭だけが暴走し、からだがついて来られなくなった人を毎日見る。手の震えが止まらない人、吐き気が止まらない人、呼吸が苦しくなる人……枚挙にいとまがない。鍼灸の世界観では、血がからだを栄養し、かつ心も栄養すると考える。からだの状態が回復するとともに心の安定を取り戻す人も少なくない。毎日のからだの状態に素直に耳を傾けよう。

 

心の時計をもって生きよう

 物は貯蓄できるが、時間は貯められません。時間は常に消耗するものなのです。
 現代のキーワードは『楽・欲・得』です。
 なるべく楽をしながら、欲望を満たし、得を求める。この観点で大量生産、大量消費が成り立つわけです。回りを見渡すとあらゆる生活道具を散乱していることに気づくでしょう。そのうちのいくつかは私たちの創造力で代用できるのではないでしょうか。創造的我々であるにはゆっくりとした時間が必要です。楽するではなく、楽しむ時間です。欲望ではなく、良く観る時間です。得するのではなく、世の中を解く時間が必要です。

 漢方で考える生き方の基本は、自然との共生であり、他者との共感であります。
 ある意味で童心の心を取り戻すことで、時間をゆっくり味わえるのです。物理的時間は何人にも同様に与えられますが、心の持ちようで何倍にも感じることができます。心の中に朝を迎えましょう。

革新運動の先駆者 後藤艮山

 艮山の愛称に『湯熊灸艮山』とある。

 これは温泉療法、熊の胆嚢、お灸を多用した艮山に由来する愛称である。

 この3法はいづれも気を動かす力、専門的には行気作用の強い治療法である。

 気を勢いよく動くかす。

 これは艮山の病気認識である『一気留滞説』に基づくものである。

 万病は気の滞りからなり、それを動かせば治ると考えた艮山。彼が注目したのが前述した治療法ということである。この病因論は日本独特の病因論として異才を放つ。

 門人は200名を超え、高弟にはあの香川修庵、山脇東洋がおり、後に古方派というオリジナル性の高い流派につながってゆく。

 彼は、これまでの医者の習いであった、剃髪&袈裟というお坊さんスタイルを改め、束髪&平服というスタイルに切り替える。1700年前後である。

○現代の鍼灸家も彼に学ぶことが大である。とくにお灸を用い、気を動かすことの重要性を捨ててはならない。?p???`

追伸:以前属していた研究会ではよく湯河原温泉のままねの?????C???i?????jで 夏合宿を張った。46℃くらいはありそうな激熱温泉である。お湯が痛いのである。もちろん一気留滞説を体現するためである。

 

漢方という名称

漢方(かんぽう)は日本伝統医学の一般的な言い方ですが、その名称の誕生は、比較的新しく江戸時代中期あたりです。

この時期、オランダを経由して新しい医術(西洋医学の前身)が輸入されます。これを蘭方(らんぽう)と呼び、以来元々あった伝統医学を漢方と呼ぶようになります。

それまでは、ただの方(ほう)、あるいは医方(いほう)と読んでいます。ひとつしかなかったので、区別する必要がなかったわけですね。

方には医学あるいは医術という意味があります。

西洋医学に投薬、手術、注射、リハビリなど の治療方法があるように、漢方にも治療方法があります。漢方薬、鍼灸、按摩、気功、薬膳などがその治療方法に相当します。漢方薬だけが漢方の治療ではありません。

漢方や鍼灸などの治療法は、当然ながら、漢方の理論に沿っておこなわなければなりません。注射や手術が西洋医学の理論に則りおこなうのと同じです。

漢方の理論は、中国の古代哲学である陰陽五行論と天人合一の考えが基本です。

陰陽論は、ものをふたつに細分化してゆく思考法です。対象を不可分と認識しつつ、陽的性質と陰的性質に分けてゆくいます。01.01が基本のコンピューター理論に近い考え方です。 たとえば内臓は、陰的性質の臓と陽的性質の腑に分けてゆきます。

五行論は自然界に5つの性質(木、火、土、金、水)があると考え、それぞれの臓腑・器官は、この5つの性質をもちつつ、その混合比率の違いにより、特有の性質を有するようになるという考え方です。

大きくいえば、猫?Lになるか人???[???i?????????jになるかもこの比率で決まります。

天人合一は、自然界と人は同じ性質をもつという考え方です。ツボの名前に×谷、×山、▲渓、◇風などがやたらに多いのは、自然界との一致を考えたからに他なりません。

1年が365日、ツボは365穴(時代により変遷があります)、月の満ち欠けは28日、陰を代表する女性の生理周期は28日です。

 

これらの考え方を基礎に発展し続けた医学なのです。 漢方というものは。

○漢7代皇帝武帝は、儒教を国法と定め、解剖学を禁止します。これ以後、見えるところから内臓などの中側を推察する診断法が発達してゆきます。

鍼灸院へゆくと、最初に手首のところの脈を診るのは、臓腑の状態や気血の流れを脈という触れることが出来る場所から推理しようとしているのです。間違っても脈拍を取っているのではありません。

○唐代には仙家思想が加わり、不老長寿を求め、錬金術が発達します。この過程で、現在でも使われている漢方薬がたくさん作られます。また西域との交流が盛んになり、それまで中国にはない生薬が入手出来るようになります。

○宋代に新儒教というべき朱子学が提出され、後に金元医学と呼ばれる新発見の思想的基礎が出来ます。

○この金元医学の成果を取り入れたのが戦国〜江戸の漢方です。後世派(ごせは)といいます。

○大陸ではその後に明清時代へと移ります。とくに清代では温病学とそれに伴う舌診という診断法が確立したのですが、我が国では江戸幕府の鎖国時代に入り、認知されるのに昭和まで待たなければなりません。この間200年は悠にあります?????????`?i?????????j

○この明清までの成果をまとめ、整理して、西洋医学のシステム論で再構築し、近代教育に載せたものを中医学といいいます。厳密には、元々の中国伝統医学と区別が必要です。

 ☆☆☆漢方という名称は比較的新しいものの、その医術は古く、平安時代には、すでに宮廷内に医科大に相当する教育システムがありました。

あるときは先端の中国伝統医学を輸入し、またあるときは輸入を止め、独自にアレンジしながら発展させ、また最先端の医学を輸入して、新風を起こす。この繰り返しが漢方の歴史といって過言ではありません。

元来、漢方を学ぶには漢文に知識が不可欠です。今でも漢文もしくは中文で医書を読めないのならお話しになりません。当時漢文に秀でていたのは、お経を読んでいたお坊さんですね。つまりお坊さんが医者を兼ねていたわけです。テレビで時代劇を見ると、江戸前までは医者が袈裟を着ています。 もちろん頭は坊主です???????????????i?{???j

お坊さんは偉大です。医者であり、文化人であり、最高の知識人でもあります。

公衆衛生を定着させたのもお坊さんの力です。お寺にお風呂をもらいにゆくとき、着替えを包んだ布を風呂敷といいますが、当時は蒸し風呂で、お尻が焼けないように、その布を下に敷いたことが風呂敷の由来です。歯磨きの習慣もお寺経由です。

江戸時代に儒教(朱子学)が盛んになると、儒家は当然漢文を読むわけです。この人達の一部が医者になります。これを儒医といいました。服装も袈裟から裃に変わりますね。ちなみに今、様々な事件で話題のお相撲も、江戸時代の行事さんは裃です。明治になると神主さんのような服装に変身します。

○明治に入ると、事情が一変します。ヨーロッパ以外のものは古くてだめだ、これからはヨーロッパに習おうという論調が多数派を占めます。

漢方も例外ではなく、西洋医学を修めないと、医師免許が交付されなくなりなります。試験科目がすべて西洋医学の科目になり、漢方を勉強しても医者になれなくなったわけです。

それ以後、衰退期を経て、昭和〜平成と再復活を遂げるわけですが、その間漢方薬と鍼灸の理論である漢方理論が別々に発達してしまい現在に至っています。

中国、韓国にはそれぞれの伝統医学を教育する六年生の医科大があります。アメリカ、カナダにもそれに準ずる施設が出来つつあります。

経済同様、伝統医学のバラガゴス諸島といわれる日が来ないことを切に願って、長文になりましたが、締めといたします。ありがとうございました。

朝鮮医学の父・宮廷医官・許浚(ホジュン)

 

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許浚(ホジュン)は、あの有名な「東医宝鑑」の著者である。

東医宝鑑は僕も時折御世話になる。主に論文の参考資料として用いるが、漢方大百科事典のような趣がある。

 確か1613年に完成したと記憶する。その少し前には秀吉の朝鮮侵略があり、首都・漢陽も落城寸前の憂き目に遭う。比較的安定政権だった李氏朝鮮の中では動乱期といってもよいだろう。   

このホジュンの小説をドラマ化したものが「宮廷医官・ホジュン」である。両斑の子と生まれながら、正妻の子でないため、科挙試験を受けることが適わず、かつ両斑の身分も保障されない中、医学と出会い心医としての道を切り開いてゆく。
 心医とはホジュンの師匠の言葉で、患者の苦しみを受け止めて、その存在自身で相手の心を癒してしまうような医家を指す。ホジュンの素晴らしきところは、この目指す方向性に一点の曇りもない点であろう。生き方の基準に全くぶれがない。貧乏のどん底を味わうが、意に介さないところが素晴らしい。心が貧乏と正反対にある。ただしホジュンにも弱点がある。〜そこが人間らしくてよいのだが〜。
 愛する人の苦労を見てられないのである、ホジュンは…。妻や母親が飢え苦しむ姿に耐えられない。思わずお金儲けに走っちゃおうかと考えたりする(言い過ぎです−正当報酬を貰うだけなのですが…)。
 人は志があると、いかような苦労にも耐えることが出来ます。しかし、愛する者が苦労する姿を見るほど辛いことはありません。しかし、愛する者が何故苦労するかは、あなたの志を支持したからに他ありません。男性はここをよく間違えます。テレビの前でがんばれホジュンと叫んでしまいました(笑)。

逆子の至陰の灸

妊娠中期以後の逆子に、足の小指の爪際(至陰)が効果的なのは結構知られている話です。
太平聖恵方(10世紀末)に張文仲の説として、横産で右至陰灸三壮(小麦大様)とあります。
その流れは、鍼灸資生経(1220年)、類経図翼・婦人病(1624年)、鍼灸大成・婦人門(1601年)と続きます。 
また神応経・婦人部(1425年)に難産に合谷、三陰交、太衝とあり、血オを思わせる条文があります。これも歴代文献に散見します。
この至陰単独か、合谷+三陰交+太衝かが2大系統です。
我が国でも啓迪集・婦人門(曲直瀬道三、1574年)に至陰、大衝とある。
療治之大概集・婦人門(杉山和一、1682年)に三陰交・合谷・至陰とあります。
岡本一包も鍼灸聚英の説として至陰を紹介しています。
和漢三才図絵・懐妊胎孕(1712年)、鍼灸重宝記・妊娠(1718年)も右の至陰です。
(胎児に針を刺す) 
面白いところでは鍼灸則(1767年)には、横産で手から出てきた胎児の手のひらに軽く刺す、とありました。
(昔の妊娠中期の逆子の文献がない) 
逆子が出産時においてのみ記載されるのは、妊娠中期から胎児の頭が下を向くのが正常である、という認識がなかったためです。
1750年前後にアメリカの産科医ウイリアムスと、日本の産科医賀川玄悦により、この事実がほぼ同時に発見されました。それゆえ、それ以前の文献には妊娠中の逆子という認識はありません。
このように1000年近い歴史に洗われた至陰の灸です。試す価値はあると思います。

曲直瀬玄朔 戦国勇者が命を預けた男

曲直瀬玄朔(まなせげんさく)は戦国〜江戸にかけて活躍した医者である。養父は曲直瀬道三(まなせどうざん)といって、後世派(ごせは)の創始者でした。以後、明治維新を迎えるまで、医学界は、この後世派が主導権を握ることになります。

玄朔は当時の有名人をことごとく診察しております。家康(徳川)、秀次(豊臣)、利家(前田)、淀の方など数え上げたらきりがありません。この臨床報告集が、。『医学天正記』という名で残っています。それを見ると、秀次と淀の方の症例が突出して面白い。時期は違うが、二人とも『気鬱による喘』を患う。今流にいえばストレス性喘息発作あるいは心身症により呼吸困難といったところです。
関白秀次は、先の関白で当時の絶対権力者である秀吉に待望の子供(秀頼)が生まれた2ヶ月後に診察で、淀の方はちょうど徳川との権力闘争の渦中の診察であります。お二方ともガチガチのストロング・ストレスが溜まっていることは想像に難くないですね。
この本の愛読者であった司馬遼太郎氏は、この臨床報告から、淀の方が常に不安でイライラした状態にあったと推察し、小説の中で(確か太平記だと記憶する)、眉間にしわを寄せ、マユを吊り上げた淀の方の像を描く。それ以来NHK大河ドラマを始め、民放各局も淀の方のメークは、吊りマユ顔が基本となる。 美人女優を配しても綺麗に見えないのこれによるのだ。
さすがは司馬遼太郎、ただ者ではない。病気から性格を推し量るとは。

 

杉山和一 世界初の障害者訓練センターを設立

杉山和一(すぎやまわいち)は江戸中期の医家である。鍼灸学校では針管を作った人として習います。
武家の子として生まれるも、生来眼が見えず、家督競争からはみ出します。当時武家の子として生まれても、家督が継げない者は、医家、僧侶、建築技師になるのが相場でした。
和一は例にもれず、医家を目指しますが、不器用で鍼が一向に上達しません。江ノ島神社に願掛け(もちろん鍼の上達を願う)に出かけます。その甲斐があってが、後に針管(鍼を痛くなく刺すための筒)を発明します(伝説らしいが・・・)。
これ以後、追い風に乗るような人生を歩み出します。晩年は関東検校(けんぎょう)となり、大奥付きの御典医にまで出世します。

検校とは、今風にいえば全国盲人協会会長といったところで、ギルド制のこの組織は、盲人の専売的職業である琵琶弾き、按摩、高利貸しなどの組合で、上に行けば行くほど、上納金が入る仕組みとなっています。和一はそこのトップということです。その収入たるや10万石の大名に匹敵したといいます。
そなみにその中の按摩組合なら、最下位の役職が座頭で、座頭の市さんはテレビでお馴染みの座頭市ということになります。
あるとき将軍の難病を治したとき、「褒美に何か欲しいか?」ときかれ、「眼が欲しい」と答えます。困った将軍は老中と相談し、本所ふたつ目に屋敷を与えたそうです。粋な話ですね。
後に和一は世界初の国立盲学校を設立し、世界史にその名を刻みます。その流れは東京教育大学−筑波大学と受け継がれ、世界の盲人教育の範となる。
運を掴み取った男はしっかりと世の中に恩を返しをしたということでしょうか。


前野良沢 義に生きた秀才

前野良沢(まえのりょうたく)は杉田玄白(すぎたげんぱく)とともに『解体新書』の著者です。中学の教科書にも載っているのでご存知の方も多いと思います。
しかしこの話、厳密にいえば間違っています。この難解な翻訳作業をリードしたのは確かに前野良沢ですが、出版の段に当たり、その翻訳の完成度の低さから、著者として自分の名前を削ってしまったです。凡人から見れば何と勿体ないことでしょう。
当時、新しい医学(蘭方)の訳本を出すということは、蘭方の第一人者として地位を得るということです。それを自分の理想像と乖離を理由に捨ててしまったのですから、現代なら『ノーベル賞をご辞退申し上げ候』と言ったに等しい行いです。
彼はその後、医学にとらわれず、建築学、天文学など当時西洋からもたらされる様々な学問の翻訳作業に携わります。もちろん自費であり、家を売り、食費にも困窮し、最後は野垂れ死にのような末路を迎えてしまいまる。
しかし彼の功績は西洋科学の吸収という点において燦然と輝くものである。近代日本の礎を築いたといっても過言ではありません。
一方の雄、杉田玄白は蘭方の第一人者として門前市をなしたといいいます。もちろん門人に囲まれて畳の上で大往生するわけです。

理想主義者と現実主義者。いったいどちらが幸せでしょうか?少なくとも良沢自身は自身の尊厳を守ったという点では幸福だったのではないでしょうか。

浅田宗白 江戸最後の名医

浅田宗白(あさだそうはく)は幕末の人である。大河ドラマでやった《新撰組》や《篤姫》と同じ時代との人と考えて下さい。
皇女和宮(14代将軍の正室;大河ドラマ篤姫では掘北真紀が熱演)の主治医であり、後に大正天皇の主治医にもな ります。当時の漢方家としては最高の実力者というところです。また政治家、社会運動家としての顔も持ちます。慈善事業もこなす。おまけに著作も多数ある。さすがスーパースターですね。
まず、将軍家と天皇家に縁あることから、ある二人の人物を引き合わせることになります。勝海舟と西郷隆盛です。いわゆる「大政奉還を決めた会談」をセッティングした影のフィクサーなのです。歴史的にみれば、
この会談で日本の方向が決まり、列強の餌食になるのをまぬがれたわけでありますから、その果たした役割は大きいといえるでしょう。
ときは明治に移りましょう。明治7年に医制が発布されます。簡単に言えば西洋医を学んだ者でなければ医師免許を与えないという法律ができます。
当時は圧倒的に漢方医の数が多いのですが、漢方医の子弟といえども西洋医を目指さなければ、家業を継げない状況に陥るわけです。まさに漢方消滅の危機です。
そこで漢方のすばらしさを捨ててはならないと立ち上がったのが浅田らである。いわゆる明治の漢方存続運動です。幾度の暗殺の危機を乗り越えた浅田は、この運動の成果を、国会で漢方存続の決選投票という形に持ち込んで行きます。ただ、浅田とは関係ありませんが、いつの世もメジャーの側はおごるものです。ちなみに江戸時代から西洋医の家柄であった手塚治虫の《陽だまりの樹々:題名が間違っていたらごめんなさい》では、メジャーな漢方医に屈辱を受ける西洋医の姿が描かれています。おごれる者は久しからず????????、ですね。
話を戻します。浅田らも、時代の趨勢には勝てず、10数票の差で敗れてしまいます。その後、漢方の復興は昭和まで待たなければなりません。何せ、この時代は「欧米のものはすべて取り入れろ」という時代のコンセプトがありましたからね・・・
浅田のすごさはこれに留まりません。診療の大半は無償で行われます。医療にかかる《人に貴賤なし》という思想の元、ほとんど診療費は取らなかったそうです。その葬式には3000人を越す一般の方がお見送りしたといいます。
彼の漢方的思考は、後に折衷派と呼ばれ、漢方3大流派のひとつを形成すします。上に立ち向かい、下に優しい。まさしく偉大なる義士であります。この気持ちを官僚や政治家に少しでも見習ってもらえるなら、この国は明るくなるでしょう。

賀川玄悦 神の手を持つ男

賀川流産科の祖。

玄悦の特筆すべき功績は非常に多い。その中でも、妊娠時の正常胎位の発見は世界医学史に残る功績である。

それまで、子宮内での胎位に関する認識は、洋の東西を問わず、陣痛が始まるまで、頭が上で、臀部が下を向いていると考えられていた。

妊娠中期から頭が下にくるのを見つけたのは、この玄悦である。

玄悦は自書『産論』でそれを主張したが、当時賛同する者ははすぐ現れなかったという。

伝え聞くところでは、この事実を指の触覚で捉えたらしい。まさしく神の手をもつ男といえよう。 

 

中国の科挙制度(受験地獄の原型)

科挙制度は、中国独特の官僚登用制度です。隋代〜清代まで約1300年続き、この制度により天子(皇帝)は門閥に臆することなく、我が意に添う官僚を登用できたのです。
官僚を目指すには試験に合格しなければなりません。試験も時代により変化します。宋代を例に見てみましょう。まず俸禄(お給料)を貰える官僚(官使)になるには、本試験である会試を受ける必要があります。この資格を持つ者を生員(秀才、童生、貢生とも呼ぶ)と呼びます。戦前の旧帝大の学生といったところでしょう。
この員生になるのも容易なことではありません。大まかには県試(童試)、府試、院試を突破しなければなりません。こうして初めて本戦への受験資格を得ます。高校球児なら市・県大会と勝ち抜き、やっと関東大会でベスト4に残った感じに近い感じでしょうか?。
しかしこれで甲子園というほど甘くありません。何せ宋代ですら4億の民を抱えていた中国。〜多すぎますね(笑)〜。

 sekihi0.jpg 実は院試の前に郷試という予備試験があります。ここで受験者(生員)を1%まで絞りこむます。つまり甲子園ベスト4の実力者を百分の一まで絞り込むわけです。超が3つほど付くほどの難関です。この郷試は三日三晩続きます。独房みたいなところで…一族の期待を一身に背負い…極度の緊張状態の中で行われます。発狂する者も数知れず…。
これに受かると挙人と呼ばれ、周囲の扱いが一変します。砕けた言い方をすれば『俺が町のお大臣様です』。またその生家は名家となり、その一族は地方の名門ということになります。
郷試の翌年に挙人を集めた会試があります。これに受かると晴れて高級官僚です。首席合格者は会元、次席は亜魁と呼ばれました。合格者はさらに天子自らが行う殿試に進めます。この人達を貢士とも呼びます。
荊州ではここまで来る人がいなかったため、この地を天荒(未開の地)と呼びました。劉シュウという人が出て、初めて受かります。そこで、とんでも快挙ということで、破天荒という言葉が生まれます。
やっと最終試験の殿試です。朝廷内で天子みずから行う試験です。合格者は進士と呼ばれますが、特に首席合格者を状元、第二席を榜眼、第三席を探花と称しました。このクラスになると皇帝の一族から嫁をもらったりもします。つまり外戚として政権に携わることもあります。
この状元、榜眼、探花を最も輩出した町のひとつが紹興です。あの有名な紹興酒の発祥の地です。魯迅や周恩来の故郷といった方が馴染みやすいかも知れません。こういう歴史をもった中国です。官僚国家の看板を外す日は、まだまだ遠い先の話でしょう。

医家の超名門 丹波家 (医界から異界へ)

ときは平安時代、現存する日本最古の医学書である医心方の著者といえば丹波康頼である。漢方家なら知らない人はいないでしょう?????`?i???_???????j

渡来人の末裔である丹波家やそのさらに傍流である多紀家は、こののち医家の名門として、あるいは考証学の名門として名を馳せます。日本医学史で、この二家を外すことは不可能でしょう。

政治権力者の影に常に丹波あり、といったところでしょう。

このずっっっっと末裔が、大霊界で有名なGメン75?s?uの丹波哲郎です。御祖父は確か東京薬科大学の創始者だったと記憶します。

ということは 丹波家は医学に飽きたらず、霊界まで突き進んだということでしょうか?(非礼な物言いをお許し下さい) 

 

世界四大医学

昔、中学校で習った世界四大文明を覚えていますか?  

黄河、インダス、チグリス・ユーフラテスそしてナイルの4つの地域に流れる大河のほとりで栄えた文明を指しましたね。医学にも古代より四大医学があります。

ただ、残念なことにナイル流域の医学は、現存しておらず、代わりにヨーロッパの医学を入れ、四大医学と呼びます。黄河流域の医学は、中国伝統医学といい、略称し、中医学といい、連綿と現在も続いています。ここから派生した医学は東南アジアの民族医学に発展します。日本では漢方、朝鮮半島は東医学、ベトナムでは古医学と呼ばれます。漢方薬、鍼灸、気功、按摩などです。

インダス川流域の医学はアユルベーダーといい、広い意味ではヨーガもこの仲間です。

チグリス・ユーフラテス川流域の医学はユナーニーと呼びます。

 

最後に出遅れたヨーロッパ医学は、中近東から数学、天文学、物理学などの豊富な知識を取り入れ、ルネッサンスを経て、近代医学へと変貌します。

ゼンマイ時計の誕生で、人の体は時計のように《部分の集合で成り立つ》という認識ができます。

さらに蒸気機関車の登場で、何キロ走るかが、石炭の消費量で計算されるようになると、これが医学に転用され、すべての指標は数字化されるという、神に代わる信仰が生まれます。

 

岡本一抱 江戸最大の註解者

実はこの人、ある有名な人の実弟である。

兄は浄瑠璃・曽根崎心中で有名な近松門左衛門である。

学統は曲直瀬道三の率いた後世派に連なる。古医書の注釈を試み、江戸時代最大の注釈者として名を残す。

代表的な著書は「和語本草綱目」「方意弁義」「医方大成論諺解」「切要指南」などがある。湯液と鍼灸の二道に精通した学術兼備の名医であり、また「北条時頼伝」を著した史学者でもある。

 

あるとき、兄(近松)に「無学者でもわかるような諺解を著しているが、原典を読まない医者が増え、人命を誤らせることにつながる」と忠告され、それ以降諺解書を作ることをやめた、という。簡単にいえば、註解「おまえさ、いいことしている思ってんだろうが、註解ばっかやると、ちゃんと原典も読まない奴が増え、レベルの低い医者が増えるだよ」と兄に言われ、考え直したということだろう。

何の学問を目指すにしても。「自分で考える」。これに凌ぐ宝はないということである。

懇切丁寧に教えると、人は育たない。そんな気がしている。

 

適刺激と花粉症

 花粉症

『私達は進化で得た適応力を使わないと病気になる』、『自律神経は細胞レベルまで支配する』、『副交感神経ががあまりに優位だと無気力になる』、『リンパ球は副交感神経の支配下になる』、その結果『リラックスのし過ぎ(副交感神経優位)はリンパ球の過剰反応としてのアレルギー性疾患があらわれる』−これは新潟大学の安保教授の最新学説です。
超訳すると、あまりに刺激のない生活、動かない生活は、副交感神経の過剰な優位性を生み、リンパ球を通し、必要のないものにまで免疫反応を起こしてしまうということです。
適度な弛緩と緊張は生活に必要ということです。
鍼灸の世界観ではおおむね肝がこの役目を担います。外界からの刺激(入力)に 対 し、適切な判断を下し行動(出力)します。この判断をする精神を『魂・こん』とい います。
根性(魂性)がないとは、外からの刺激に適切な処理をしようという心を放棄してしまったことかも知れませんね

意外に多い症状 耳鳴り

  耳鳴り

鍼灸院で意外に多いのが耳鳴りです。
耳鳴りで病院に行くと「加齢現象ですね」とサラリと一言。
「歳?だっていうのか?」とちょっとガッカリ。
中医学では、この加齢現象を五臓六腑の腎の衰えと認識します。
とくに耳は腎精を栄養源とするため、腎精の枯渇は耳鳴り、難聴という形であらわれやすいのです。
「僕は若いのにしょっちゅう耳鳴りがあるぞ・・・」と自慢?反論?なさる方もおられるかもしれませんね。
この場合は五臓でも心に問題があります。
心は気血を全身各所に運ぶ役目を担当します。
これにより各器官はその器にしたがった役割を果たすことができるのです。
つまり心のトラブルは、耳に気血という栄養物を運べなくなるということです。
心は年齢と関係ありません。若くても心のトラブルは起こるのです。
どちらかというとメンタルな部分でトラブルを起こしやすいのです。
うちの患者さんで、天地療養で耳鳴りが消えた人がいました。
腎か心のいずれの臓腑のトラブルかは言うまでもないでしょう。

 

肛門痛と内膜症

 肛門痛  

肛門が痛む、ウーム痛い。

皆様このようなときにどんな疾患を思い浮かべるでしょうか?

痔ではないかと考える人が一番多いようです。内痔核などが典型ですね。切れ痔も要注意です。放っておくと肛門狭窄になることもあります。便が細くなる、下血を帯びるなどが出たら可能性が高いと考えてください。

つぎに考えられるのは何でしょう?。

子宮内膜症で、内膜様組織がダグラス窩に溜まったケースです。

突き上げるような激しい痛みの方、ズキンズキンとした痛みの方も少なくはありません。

始めは生理時に痛みが増悪しますが、ひどくなると生理時以外でも痛みがある人も少な

くありません。意外に多いのは排卵時痛です。排卵前から数日続くこともまれではありません。

内膜は剥奪と増殖を繰り返すので、内膜の増殖期である排卵時に痛みもでやすいようです。炎症的な痛みが特徴で、ズキンズキンとかズンズンとした感じになります。また腹壁など骨盤内の別の組織と癒着があれば、さらに痛みが増すようです。

出口を持たない卵巣に内膜様組織が出来るとチョコーレート嚢腫に発展します。

肛門痛が排卵時、生理時に痛みが限定し、かつ性交時痛があれば、迷わず婦人科を受診してください。問診ー内診ー超音波ー血液検査、必要に応じてCT、MRIという順に検査します。

変わったケースもありました。その代表が肛門神経痛です。肛門付近に突然起こる発作

性の疼痛を起こします。数分間発作した後、は多くの場合不規則で、5〜20分続いた

後、自然に治まるのが特徴。排便時に起こることもありますが、夜間の発作する方が多

いようです。これといった治療法が確立されていないのが現状です。患者さんを見る限

り肛門マッサージ(自分で)や患部を温める多少の 改善を見ます。ツボなら次リョウと

会陽を使用します。試してみて下さい。この2穴は内膜症緩和にも有効です。


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中医からみた便秘

 便秘

常習性の便秘には3つのパターンがあります。大腸の蠕動運動が弱い弛緩型便秘。これは比較的刺激に対応してくれるため、野菜をたくさん取る。水を一気に飲む。運動する。肛門〜直腸を刺激するなどで解決することが多いものです。

 問題は蠕動運動が活発すぎるけいれん型便秘です。過度の刺激で腸内バランスを崩し、便秘をさらに悪化させることも少なくありません。流行の●●●エネマで重度の便秘に陥った方もおられました。便秘と下利を繰り返す人もけいれん型に多くいます。かなりリッラックスした環境が整わないと排便は望めませんので、会社や駅、デパートのトイレに世話になることは余程でない限りないでしょう。内関太衝、風池などのツボが効果的です。

 もうひとつ直腸型便秘があります。主に便意がある際に、トイレに行かない(行けない)の繰り返しで、脳が指令しても肛門括約筋が開かない状態に陥ります。便意もなく、2週間以上放置している人も少なくありません。承山、委中、風池 などツボのほか、出なくてもよいですから《便意があったらすぐトイレ》の習慣だけは身に着けましょう。お願いします。 

 

隠れた大問題・痔

 

 痔

痔というと中年男性の疾患というイメージを持たれている方は多いかも知れません。

意外にも患者の半数近くは女性なのです?????`?i???_???????j

男性でさえ「痔?」と思っても受診することをためらいがちですが、女性とくに若い方ならなおさら放置しがちです。

しかし、正しい知識を持ち、適切な対処をしないと後に痛〜い思いをすることに・・・????????

痔には3つのタイプがあります。

排便時に肛門が裂けるように痛い。その症状のとおり「裂肛」、俗に言う切れ痔です。20代の若い女性に多く、便秘による硬い便で肛門の粘膜が傷つきます。

便をするたびにいぼが出る「痔核」、いわゆるいぼ痔は、30代、40代に多くみられます。

肛門付近の血管の一部がこぶ状になりいぼ痔となります。排便時のいきみ過ぎ、長時間座りっぱなし・立ちっぱなしや出産時のいきみなどで発生しやすくなります。

いぼ痔があるのをわかっていながら、見て見ぬふりをしてしまった・・・放置したまま少しずつ進行し、気がつくといぼ痔が脱出したり、戻らなくなってしまう「脱肛」にまで悪化してしまうことも・・・。

若い年代の方は肛門の粘膜に張りがあるため、硬い便により裂けやすい。だから、切れ痔が多くなります。30代を迎えると徐々に肛門も老化への道をたどります。弾力性が減少し、血流が悪くなり、いぼ痔ができやすくなります。肛門付近の筋力も低下していき、筋がゆるんでいぼ痔が戻りにくくなります。

痔かな?と思うきっかけは「出血」です。しかし、その症状は大腸がんの初期症状でも見られます。大腸がんは食生活の欧米化が影響し、日本では近年増加傾向にあり、日本人のがん患者数の第1位に迫る勢いです。極端に細い便が出る場合は、早めの検査をしたほうが良いでしょう。

排便時に出血があっても、正しい知識と適切な対処をしていれば、あらぬ心配をする必要もありません。

鍼灸では、百会という頭のてっぺんにあるツボが効果的とされています。飛び出た肛門を上へと引き戻すイメージです。

ただし百会に適応する痔は、出て戻らなくなったものや、疲労で出てくるもの、あるいは脱肛なのです。

裂肛には肘の少し下の孔最が適応します。

いぼ痔は、患部近く、尾骨の先端の長強を取るとよいでしょう。

 

陸の孤島の百万都市

 

 オーストラリア・パース

パース.jpgパースは西オーストラリアの州都である。

世界最南端の百万都市、オゾン層の破壊の影響をもろに受けた街、皮膚ガンの多い街といった方が通りがよい。

1週間ほどの滞在である。海が隣接した綺麗な街であった。

街の印象より、人の印象が強く残る。皆やたらに運動している。ジョギング、自転車など、ストイッ

クなまでに運動している感じ。かなり健康への意識が強そうだ。

この健康意識は、ある意味危険の裏返しである。

オゾン層の破壊は、この国だけの問題なのだろうか?世界の枠組みで協力しあう問題だろう。

個々の人が何をできるかが切実で最も大事な点。 

話を戻そう。

イルカを見に行く現地ツーアーに参加。英語がうまく聞き取れず、浜辺でサンオイルを塗ったら、

イタリア人に叱られる。ツアーといってこの間の走行距離200キロ?o?X

この街は陸の孤島か?????????`?i?????????j

運転手は交代制、暇な方の運転者がフランス女にナンパを始める。陽気だな??陽気はどうで

もよいが、とかく、冷房を効かせすぎ、寒い寒い

夏なのでこちらも薄着、仕方なく窓のカーテンを巻く。隣のシンガポール系中国人は、途中から

悪寒をしているようだ。

とにかく、明るく、でっかく、陽気で、基礎代謝がよいオーストラリアの人々でした。