〒242-0021 神奈川県大和市中央3-8-26 杉中央ビル1階

営業時間
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定休日
水曜日・金曜日・日曜日・祝日

 東南アジアの街と人々

チェンマイ/済州島/黄山/アンコールワット/ホイアン/青島/安東/紹興/北京/マカオ/香港 /台北

 中央アジアの街と人々 

 ベナレス/ゴール 

 イスラムの街と人々 

 イスタンブール/ カイロ

 ヨーロッパの街と人々

 パリ/モスクワ/バイカル湖 / ベネツア /モスタル

 オセアニアの街と人々

 マウンテンクック/パース 

 南の島の街と人々 

 沖縄/ホノルル/フィジー

2015/7

この街は高校の3年間を過ごした街。

今回は主宰する塾の講演とスタッフの慰安旅行を兼ねる。

東京  上野  大宮  長野  富山  金沢

〜恐ろしく早い〜

美味しいオムライスで幕開け

講義を終え

石川門から兼六園へ

10年ぶり

25人の大宴会

のどぐろを堪能。

有名な町屋を貸切る

翌日は、近江町市場から主計茶街、東茶街をブラブラ。

最後は知る人ぞ知るの鰤の太巻きで締める。

楽しい旅でした。

秘島中の秘島

タイのクラビに行ってきました。

タイは7度目でしょうか???

好きですね。

少し前まで飛行場がなく、鉄道も通じていなかったので、幻の島と言われていました。

実際クラビは半島です。切り立った半島で、ビーチが半島で分断されるため、ビーチごとに色々な顔を見せます。 

大小の島も点在し、ボートで周遊出来たりもします。

デジカメを海に落とし・・・再起不能????

ゲストの大半は欧米人でフランス人、ロシア人、フィンランドかスェーデンの人が多かったように思います。 

ホテルで受けたマッサージもスェーデン式となっていました(笑)

韓国人、中国人、日本人は数組見かけただけです。

とにかくきれいな海でした。

携帯からの写真だときれいさが伝わりませんね。

2014/11

研究会の公式行事として4年に1度海外研修を行う。

まぁ個人的に行くこともあるので、結局は毎年行くことになる。

今回は公式研修で台北に行く。

北京、ソウルに続き台北を訪問。

台北中医学会の理事である陳老師、熊老師の医院を訪ねる。

※地下鉄淡水線・円山駅からほどなくのところに陳先生の悦展中医診所がある。

※1日100人の患者さんを精力的にこなす姿には感服。

※7人のお弟子さんと尋ねたが、陳老師の医院の中で何と日本のドクターと遭遇、

日本で以前にお会いした方や共通の知人が居る方がいたり・・・世の中狭い。

研修前は、医書専門店に寄り・・・・

故宮にも寄り・・・・

龍山寺、西門、東門、鼎泰豊…

ハードだわぁ 自分で立てた計画だろう????

中には診察室がふたつ。

治療ベッドが3台と治療椅子5脚・・・・・

小さいながらナースセンターまで完備・・・

羨ましい???

色々な技をご披露して頂き、

おまけにご本まで頂戴しました。

2泊3日の強行軍でしたが、有意義な研修でした。

中国,北京

  この街は計20数回足を運ぶ。義姉の家があり、数週間〜数ヶ月の研修もすべて
ここ北京。知人、友人も多く、外国に来たという感じがまるでない。
 この街の特徴は、行くたびに街の景色や人の服装が変わるところである。まさに首都北京は躍進中国の象徴である。
 2年前は、オリンピックの前で、前門全体が瓦礫の山と化していた。毎月新しい地図を発行しないと間に合わないくらいだ。
 初めて訪れたのが20年前、噂どおり人、人、人、自転車、自転車、自転車であった。牛で荷を運ぶ人もいる。

 友諠商店では、扇風機が店員にしか当たらない。客は汗だく、物を買うときいかにもめんどくさそうな素振りをみせる。寝ている店員も数知れず。地下鉄はともかく、バスに乗るときは戦争状態。やっと確保した椅子に座ると、膝の上に子供を乗せられたこともある。

 国営ホテルの象徴王府井の北京飯店は、20年前なら、それこそ豪華という感じがしたが、今では外資系に押され、全く存在感がない。

 靴直しのおじさんの手間賃は5元、散髪も5元。すべがてが驚きの連続で本当に楽しかった。

 比べて今は、その感動が薄らぐ。慣れもあるが、資本主義で見られる他国の大都会と何ら変わりがない感じがしてきた。それを世間では発展というのだろうが、壊され行く胡同を見ながら一抹の不安も覚える。東京がオールド東京を保存しなかったことで、心の帰省地を失った二の舞は起こさないで欲しい。

 

 今回は自身が主催する研究会『漢方の三旗塾』の4年に1度の海外研修のために訪れた。
 場所は北京中医薬大学となりの中日友好病院である。総勢19名で、ちょっとしたツアーの様を呈す。

若い頃、一ヶ月ほどこの病院内の伝統医学リハビリセンターで研修したことがあり、そのとき昼寝をした南宋風庭園が当時のままあり、嬉しくなる。
今回は皮膚科、針灸科の2科の研修をメインに置く。
研修内容を報告する項ではないので、詳細を省くが、短時間の割に集中した研修が出来た。

後はもっぱら本屋めぐりである。全員で300冊ぐらい買っただろうか。東京で買う10〜20%くらいで原書が買え、お得感があり、つい買いすぎてしまう。東単の健康書店が教科書類が充実する。6年ほど前に寄ったとき、自分の書籍の翻訳本を見つけ、少し嬉しいやら恥ずかしやら複雑な思いをした。

王府井の新華書店でも良いが、値の張る書籍が多い。ただ、まとめ買いなら10%は値引きできる。中医薬大内の書店も交渉次第で値引き可能。

 

 

 最近は格段とアクセス事情がよい。とくに地下鉄は8号線まで出来上がり、非常に動きやすい。

 ちょっとした買い物はより王府井より西単が良い。北京ダックの全衆徳は前門店(本店)がやはり一番おいしい。

 故宮、古い方の万里、頤和園は1度足を運んだ方がよい。
 電車で5時間ほど揺られると、承徳という街がある。元朝が北京に入場する前の都で、中国に同化する前の元朝を感じることが出来る。 

中国.紹興

 今回の旅で、中国で庶民をやるには体力がいるということを再認識することになる。

 紹興までは日本からの直行便がない。まず杭州に行き、杭州から紹興行きのバスに乗る。

 まずは切符を買うために並ぶことになる。ただし皆がきちんと並んでくれるわけではない。並ぶ人の横から手が2,3本は出てくる(困惑)。そこで、いちいち割り込みの人に「後に行け」(我是前頭、請后辺排列)と怒らなければならない。こういう苦労が、歳を取ると非常におっくうなのだ。

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 1時間半ほどで紹興に着く。三輪車の勧誘を振り切り、向かったのは魯迅の生家。

 魯迅は知っての通り中国近代文学の父です。口語調作品による微妙な感情表現は日本のファンも引きつけてやまない。仙台に留学経験があり、神田の内山書店とも関係があるようです。 個人的な話ですが、内山書店に入るとき何故か緊張してしまうのは、この辺の事情による。
 反戦的思想家のため、共産党から資本家の汚名を着せられずに済む。それで生家は保存され、今は観光地と化した次第である。

 

 この生家は、典型的な中国南方のお金持ちの家です。間口はそう広く感じませんが、奥行きがどんでもなく広く、悠に10メートルはありそうな高い塀で囲まれている。柱、戸口、机から家具に至るまで、かなり凝った飾り彫りが施されている。また家の子供専用の教室があり、当然高名な家庭教師を雇う。時代が時代なら魯迅もきっと科挙試験を目指したことは想像に難くない。
 変な言い方だが、中国的アメリカンドリームを目指す方法の代表的な仕組みは、商売で成功する−政商にのし上がる−その財力を子供に投資し、学問を身につけさせる−科挙に合格する−貴族化するというものだ。
3代はかかる。あくまで、家という単位で考えていることがわかります。この国のキーワードは家。さすがは国家百年の計の国で、スパンが長い。

 杭州は西湖という湖があり、非常に風靡な街である。 この街は2度めだが、最初のときの豚の角煮の味が忘れられない。夕方の湖畔の散歩は、息づかいが荒くなる都会生活を忘れさせてくれる。

 

中国.青島〜泰山〜曲阜

山東省は初めてである。JALマイルを利用し、直行便で青島まで飛ぶ。

青島〜泰山〜曲阜を周り、孔廟で亡き孔子様にご挨拶を済ませた。道家を支持する身でありながら、儒祖を敬うのかとお叱りを受けそうだが、そんなつまらないことは気にしない。敬意に思想を持ち込むなどは愚か者の所業だ。

 青島は山東省第2の都会である。田舎の地方都市と聞いていたが、7百万の人々の住処だ。視界に海の広がる空気好(kongqihao)の街でもある。

ドイツの旧租界地が現存するため、居ながらにしてドイツを感じられるというお得感もある。ちなみに青島が中国ビールに一大拠点(青島ビール)となったのは、ドイツの影響もある。

 泰山は知っての通り中国・五山中のひとつ、東方の名山で、寿命を司る神様が住んでおられる。歴代皇帝の庇護も厚い。「安泰」の泰の字は泰山の泰である。シンプルに言えば超がつくほど神聖な山である。

 とかく石段が凄い。かなりの急勾配で、2時間はかかるだろうか?『脚に震えを感じたい』と切に願う人は是非にお試しあれ。途中の店で売る倍値の西瓜が媚薬に思えてくる。

いよいよ孔子様とご対面である。まず側近の子貢様にご挨拶を済ませ後、孔子様と対面する。すこしドキドキする…、当然だが…千の風になった孔子様は何もお答えにならない…。ただただ清々しい感覚を与えてくださった。感謝、感謝、これで十分だ。

 理由なき幸福感、これが大事だと、今は思う。幸福に理由があれば、失うと不幸になるから・・・・・

 帰りの青島行きの列車で色々と考える。新幹線「こだま」仕様の列車で4時間ほどで青島に着く。着いた先が大阪だったらどうしよう?ありえない

 若い頃、陰陽思想や中庸思想に惹かれる。

 日々悶々とする人の性ではなく、「陽の直線的な思考と陰の包括的思考を併せ持つ」人という存在に魅力を感じ、思想的繋がりから中医鍼灸を志す。

 24歳、上海・外灘のガーデン・ブリッジの上であった。

 時が過ぎ、自分自身がいつの間にかこのような視点を失ってしまったようだ。

 昨今の世相は、陰陽の調和の乱れが甚だしい。陽的直線思考が強すぎる。戦時中でもないのに陽実証社会の到来か?と思いたくもなる。目に見えない形での慢性的戦争が続いているという表現がマッチするような気がしないでもない。

 陽的直線思考は右肩上がりのグラフのような社会を構築する。上昇志向に繋がるが、どこまで行っても、さらに上があり、不安・焦燥感・苛立ちが絶えない。

 このような社会では、自身の立ち位置を過去の実績に置く、エゴの強い、勝負論にこだわる人間を形成しやすい。勝ち組・負け組などという言葉がまかり通るのは、その象徴である。

 国民を不安状態に置くほど、為政者にとって都合の良いものはない。政府から国有地を払い下げられた新聞社や、無意味な広告をもらい続けるテレビ局を使い、見え透いた正義を説けば、民の操作などいとも容易い。

 逆に、冷静で少々では動じない国民が増えれば、ウソが通じなくなり一大事となる。政府高官、高級官僚、GS幹部はさぞ困るのではなかろうか?それには陰的包括思想を思い出すしかない。

 陰的包括思想の基本は包み込みの視点である。出産直後の女性が始めてみせる母の顔に似る。

 相手を思いやる優しさ、美しさを賛美する眼、より実体を大事にする視点などがそれである。少し前の「もったいない思想」もこの範疇だろう。自然を愛でる意識もこれに連なる。より実体を大事にするので、人の肩書き・実績より優しさに価値を見出すだろう。

 鍼灸院には陽的直線思考に疲れ果てた人が多数来院する。個々の臨床家が目の前の患者に集中しつつ、陰的包み込みを実践するなら、孔子様も微笑んでくれるだろう。やっと初心に帰る日が来た気がする。

 中国.マカオ

 ちょっと小旅行でマカオへ。これが意外におもしろかった。

 マカオと香港は中国である。しかし政治、経済は前宗主国のポルトガル、イギリスのそれを踏襲する。 これを一国二制度という。その方が現実に都合が良いということなのだろうか?

 マカオ経済は圧倒的にカジノで持っている。ギャンブル目当てに本土中国を始め、世界中の成金さんが集まってくる。すでにラスベガスを凌駕したという噂もある。

 ちょっと探索…。ドキドキドキドキ。ボディチェックへ済ませ、別世界へ突入(初体験)。

 皆が皆、目がつり上がっている。
 ギャンブルは絶対に冷静沈着じゃないと勝ち逃げ・負け逃げができないのに…、手首のロレックスは質屋行きだな…。

 成金さんを目当てに来る本土からお姉さん。何故か胸が同じ大きさなのである。

 横縦どこから見ても東欧の姉様もいる。

 『おいおい、どこが中国だ』と叫んでしまいそう。

 かつて蹂躙された土地を上手に活かすしたたかさは、さすが政治大国といってよいだろう。

 しかし、この地域から徐々に大陸へ向け、あらゆる波が伝播する。

 今後の中国の動勢はマカオや香港で案外にわかる。

 中国・黄山

 この山に登ったのは、25年前のことである。鍼灸学校の友人と二人で、タイ  香港  上海  黄山というルートを取る。

香港に寄りたくなかったが、当時は自由旅行で中国に入るには、香港でビザを取らなければならなかった。香港で泊まったドミトリーは1000円ほどで、鉄格子の2重ドアだったのを記憶している。ネーザンロード付近にあり、近くの東京銀行で日本の新聞を読み漁ってものだ。

上海から黄山までは、乗り合いバス。前の席のおばちゃんが鶏肉の片を上から吊るしたので、目の前で鶏肉がゆらゆら揺れている。省が変わると、全員の身分チェックが始まり、ドキドキした。

麓から5時間ほどで頂上付近のホテルに辿り着く。道がかなり狭いところもあり、しかも安全のためのロープが切れている。 高所恐怖症の自分にはかなりの難関だ。

風邪が吹くと、視界に山水画の世界が広がり、数分後には霧で視界ゼロになる。本当に不思議な山だ。『ここに登り修行し仙人になる』というが、この視界では大半が滑り落ち死んだに違いない。

当時は外人が少なく、麓のゲーセンでインペーダーゲームをやっていると、5,6人の中国人が集まり、ワイワイガヤガヤ(中国語が良くわからない)。途中手を出す輩もいる。

ホテルでも料金が5元、食事が4元、二日滞在したが、18元しかかからない。当時のレートで200円くらい。本当に安かった。成田を出て、正味一ヶ月くらの旅行だったが、中国国内では数万円の出費で終わったと記憶する。 

                    香港

 とにかくここは雑多な街、人の話し声がやたら甲高い。4,5回は足を運んだ。今はちゃんとしたホテルを取るが(☆☆☆くらいだが)、以前はネーザンロードのドミトリーに宿泊した。2千円くらいで宿泊できた。鉄格子が2重になっていた記憶が・・・。九竜と香港島は船で行き来した。それが一番安かった、今は????

世界を見つめ、かつ中国本土を背景に金融ビジネスが凄い。もっと上を、もっと上をというエネルギーに満ちている。そのエネルギーを行政が汲み取っている。所得税、法人税はかなり安い。税務署に相当する組織はあるが、日本のような税務調査はほとんどない。確か民間の会計士が免許の名のもとその責務を代行する。ちょっとスキル、コネクションが出来ると皆すぐに独立する。投資も盛ん。ほとんどがリスク資産かと思ってしまう。

規模は知らないが、とっくに東京を抜いてシンガポールとともにアジアの金融センターとなっている。欧米企業にとって非常に進出しやすい環境が整っているということだろう。

                    台湾・台北

この街は3度ほどお邪魔したことがある。大陸と違い喧噪のなかにも大人の街という感じがする。たぶん資本主義が長いからだろう。名前は忘れたがけっこう古い生薬市場もある。地下鉄も利便性が高い。地下鉄の駅と駅を結んだ本屋さん街もある(もちろん地下)。ただ、中医書は中国ほど容易に入手できない。

この国の伝統喫茶は良い。

伝統的なお菓子も職人気質があらわれ、大陸ほど粗くない。

地元の台湾料理は口に合わないが、大陸伝来の中華料理のレベルは高い。

ただ伝統的建築物は行ったはずだが、あまりに記憶に残っていない。

テレビをつけると、やたら日本のものをやっている。

女性の化粧品の類も資生堂、コーセー・・・日本びいきということなのだろう。

 タイ・チェンマイ

 

タイには3度ほどお邪魔した。初めての海外ということもあり、印象深い。空港を出た途端『社長先生様?』とホテルの客引きに腕を捕まれる。『敬称はひとつにしろ』

 タイに1週間ほどいると怖いくらい地元に同化する。中国で現地人に道を尋ねられたことは一度っきりだが、タイでは数回ある。私がチビ(167㎝)だから??(タイ人に失礼な言い方でもうしわけありません)

バンコクは大都会特有のアクセスの良さを持ちつつ、タクシーやホテルが安く、長期滞在しても経済的負担が少ない。人も優しく好きな街ではある。 しかしあまりの気持ちよさに王宮の庭園で寝ていたら、衛兵に銃剣で起こされる。興味本位で射撃場に行き、100発ほどかましたら、お金がきれて、冷や汗が出る。おまけに回り中がピストル持っている。

近くのパタヤビーチまで乗り合いバスでもさほどかからない(2時間以内だったような記憶が・・・)。ただ、ビーチで寝ていると、5分おきに物売りに起こされる。

プーケットは、嵐に見舞われ、ホテルから出なかった。

この数年、海ははずれっぱなし。

フィジーでは2階下浸水で海を見られずじまい。

ペナンでは電気くらげにやられ39℃の熱。                                     

話を戻そう。バンコク以上に面白いのが北部のチェンマイである。 

ここのもち米は最高にうまい。

人がバンコク以上に優しい。物価が安い。ゾウもいる。そこそこの都会と、無造作で気持ちよい田舎とのバランスが絶妙の街である。

韓国.済州島

済州までは約2時間半、自宅から成田までと、ほぼ同じ時間である。かように近い島であるが、火山噴火で出来た島のため(現在死火山)、地上に水がたまりにくい。それにより日本にあって、済州にないものが3つある。

温泉、川、田んぼである。

人口50万以下の小さな島であるが、景色の雄大さや荘厳さではどこにもひけを取らないだろう。

 高麗時代に朝鮮に併合され、現在は街が南北に位置し、景勝地は東と南西にある。

 とくに世界遺産の城山日出峰、ハルラ山、万丈窟と西南の4カ所ほどの瀑布(滝のこと)は必見である。 中文海水浴場も沖縄並みに綺麗な真砂である。

民族村では、むち打ち台があった。これで100叩きの刑に処されると、さぞかし痛いだろう。

地元の黒豚とミカンはおいしいし、トッペギもかなりうまい。  韓国は7,8回行ったが、ソウルのつぎに面白いところであった。

五味子茶を飲みながら、来年はハルラ山に登ろうと考える。

 カンボジア・アンコールワット

 カンボジアと日本の間では直行便がない。したがって通常はタイ経由かベトナム経由で入る。 今回はホーチミン経由でプノンペンに、プノンペンからアンコールワットのあるシェムリアップに入った。

 ここの空港は2つの点で凄い。待合室がないのだ。隣の軽喫茶で珈琲を飲み5$取られる。また普通、空港には荷物が出てくるベルトコンベアーが必ずある(正式名称は知らない)。それがないのだ。台車に載せた荷物を数十人がかりで、一気呵成に押してくる。手で荷物を持ち走ってくる人もいる。

アンコールワットはアジアの一級品の世界遺産である。その保存状態が極めてよい。この辺の土地は数年ほっておくと、草木がうっそうと茂り、十数年でジャングル化するため、人の侵入を防ぐ。つまり伝承では残っても、容易に視覚から消えてしまうのである。

 その彫刻美の繊細、かつ大胆な構図は古代の人の生活を想起させるに十分な迫力をもつ。 「水を制する者は支配者となる」の格言どおり、クメール王朝の灌漑技術は相当に高かったようだ。

 

 

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またその湖面がアンコールワットを照らすと、本当に綺麗だ。桃源郷の世界に変わる。

いたるところで小学生くらいの子供たちがガイドで生活費を稼いでいる。学校に通える子が少なく、というかほとんどの子が学校に行かず、アンコールワットで遊びながらバイトしている感じである。外国人相手に耳で憶えた言葉なので、発音が極めて綺麗。日本語、英語、フランス語、イタリア語など、バイリンチルドレンが多数いる。 その屈託のない明るさに、世界一若者が多いといわれるこの国の未来を感じざるを得ない。

ベトナムは、越人が南下して建てた国である。当然、至る処に中国南方文化の香りが漂う。

ホイアンは南越風の建造物がそのまま残ったような街であり、貿易都市であるため、商家が多い。縦長の家で、塀を囲むように中庭がある。つまり、建物は間口が狭く、奥行きが広い、これも中国南方の商家を見るようだ。お寺も南方中国の道教寺院と変わらない。

家が川沿いに立ち並び、船で荷を運べる作りになっている。

16〜17世紀には日本人街も作られ、1000人を超す日本人が住んでいた。

街中の安宿で3日ほど、滞在したが、規模はが思った以上に小さく、1日あれば十分である。郊外にはミーソン遺跡があり、半日で往復できる。

食事をすると中国南方の味。 市場に出向いたが、かなり安く、おばちゃんは優しい。

ジーパンの裾上げをするミシンは、昔母親が使っていた足踏みタイプ。

ホイアンを含め、ベトナムは2度ほどお邪魔した。

ホーチミンは小回りがきき、食べ物もおいしい。意外にアイスクリームが絶妙の味である。

ハノイは大きすぎて動きづらい。

ハーロン湾は天気次第。 雨、霧ならガッカリ。

メコン川はなかなか味がある。程よい大きさで、小船で繰り出すと気持ちが良い。中州の小島で初めてドラゴンフルーツを食べる。

ベトナムのどこの街でも同じだが、バイクがただただ多すぎる。50ccで、3列縦隊、3人乗りは当たり前。

よく見ると、皆バックミラーを外してある。ミラーが隣のバイクと接触し、事故るからである。

 韓国・安東

 朝鮮史の中でも長期政権を維持したという点では、李氏朝鮮の右に出る王朝はないだろう。

 その政治的思想は当然ながら儒教である。儒教政治の特徴のひとつは、身分の固定制にある。日本でも江戸幕府がそうであるように、李氏朝鮮も身分の固定制が極めて強固だ。

 その最上階に位置するのが、両班と呼ばれる貴族階級である。科挙試験の受験資格、奴隷の売買権、漢文の書物を読書する権利、租税権利、納税免除権(納税した時期もある)など枚挙にいとまがない。

 「両班にあらんずんば人にあらず」といった感じだろう。その中でも絶大な勢力を誇ったのが柳一族である。実は柳一族の出身地がここ安東である。後に、この地からは金氏も輩出する。時代によっては王をコントールし、実質的支配者として君臨する。  町の保存状態が極めて良好で、昔の風景・建物が残っている。地形の利もあり、先の大戦の被害もほどんど受けていない。イメージとしては日本なら移築していない素の江戸村といったところだろう。昔を感じたいならお勧めの街?村?ある。

 

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いつも思う。韓国の家の塀は何故こんなに低いのだろうか?うちのかあちゃんの背丈とあまり変わらない。防犯上の意味が薄いと思うのだが・・・。ちなみに韓ドラ「美しき日々」でチェ・ジュウに恋をしたリュウ・シオンはこの安東柳氏の流れを汲む。確か漢字で書くと柳時元???間違ったらごめんなさい。

 

 

 

  インド、ベナレス

                                             
言わずと知れたヒンズー教の聖地である。ベナレスは英語表記《Benares》の日本語読みである。 独立後はVaranasiが正式名だそうだ。また霊的光に溢れた町という意味でKashiとも呼ぶ。

数年前にNHKでこの街の特集を見て以来、行きたくてうずうずしていた。自分の感性が何を持ち帰るのだろうか?とても楽しみである。


 

○想像通り人、人、人である。舗装した道路は極めて少なく。ホコリと牛の糞がやたらに目につく。「コンタクトレンズは売れないなぁ」と、日本人的思考をする自分自身が少し情けない。

○翌朝、日の出前にホテルを出てガンジス川に向かう。元日をベナレスで迎えることが出来るなんて夢のような心地である。

牛の他、豚、野良犬、リヤカー、バイク、三輪自動車・・・昔見た懐かしい風景に出会う。真冬というのに宗教上の理由から裸足の人も少なくない。

ターバンを巻いている人は、シーク教の人である。一生涯髪や髭を切らないため、ターバンが必需品となる。ターバンを巻いている人に必ず濃い髭があるという昔からの疑問がやっと解けた。

チャイで体を温めた後、ガンジーに浸かる。膝までだが、気持ちよい冷感(霊感ではありません)。これ以上は、ヒンズー教徒でもないのに失礼だろう。

ガンジス川西岸にはガートと呼ばれる堤が80以上隣接する。中には火葬場もある。ヒンズー教の方々は、ベナレスに2000以上ある寺院のひとつに泊まり、そこで死を待ち、このガートで火葬してもらい、灰をガンジス川に返してもらうそうである。これが天国への道へと繋がるわけである。正確にいうと輪廻から解脱できるそうだ。
この街には人工的なルールというのが存在しないのでは?と考えてしまう。路の真中に牛が寝ており、車やバイクが逆走し、お店では値札というものが存在しない。

官僚国家の我が国では、安全性や合理性の美名の元、ありとあらゆるルールがひしめき合う。しばしば形骸化し、邪魔なルールも相当数にのぼる。

たとえば薬局を開設するとき、分度器が必要になる。今どき分度器で調剤することがあるのだろうか?
自然発生した仕組みを言語により追認するのがルールであろう。ないとは思うが、管理者を作る・喰わすためにルールが存在するとしたら、悲しいことである。 

駅には面白い職業の人がいた。エレベーターとかエスカレーターのほとんどないこの国では、荷物を運ぶのが容易ではない。そこで運び屋さんがいる。赤い服のおじさんは駅の職員だそうだ。一食分程度のお金で、頭にボストンバックをふたつ乗せた。涼しい顔で先を歩く。

ホテルに着き、試しにマネしたら首が折れそうになる。 凄い技だ。

スリランカ・ゴール 

ゾウの孤児院にて                         

 アュルベーダーを体験するため、スリランカに行って来ました。スリ ランカはインド洋の島であり、北海道くらいの面積に2000万ほどの人が暮らしています。そこで暮らす人々の伝統医学がアュルベーダーです。スリランカ版漢方と いったところでしょう。

 場所は南の街ゴール。アュルベーダーのドクターがまず脈を診て診察し、オイルを調合します。その後にオイルマッサージを受けます。薬草を引き詰めた低温サウナに入り、 最後はハーブ茶で終了です。

スリランカは常夏の島です。湿気が少なく、汗をかきやすいため、基本的には体から水分や油分が抜けてしまいます。それを補うため、大量のオイルを使うマッサージが発達したのでしょうね。

逆に日本は湿気が多く、保湿的マッサージは向きません。日本のオイルマッサー ジは少量で伸ばすようにやるのはそのためでしょう。つまり、医療は気候風土に影響さ れるということです。

また2000〜3000㍍の高地はあの有名な世界最大のセイロン紅茶の産地です。 働く人の手当は1日80㌔摘んで、200円くらいです。当地でもやっと生活ができる程度の金額です。皆さん紅茶を飲むときは決して粗末に扱わないで下さい。ところでイギリスはここに汽車を通しています。よっぽど紅茶が欲しかったの で  しょう。

スリランカでは、他に世界遺産を中心に5カ所ほど回りましたが、どこも自然の豊かさに眼を奪われることになるでしょう。小鳥、花、木が生き生きしています。

  トルコ、イスタンブール

 世界に千年城(千年間以上に渡り都であり続けた街)はそう多くはありません。そのひとつがイスタンブールです。

古くローマ帝国時代には、コンスタンティノーブルと呼ばれ、ヨーロッパとアジアの架け橋、交通の要所として大いに栄えます。その後ビザンティン帝国、オスマン帝国の都として栄えます。現在のトルコ共和国で、首都はアンカラですが、栄華の象徴、経済の中心はいまでもイスタンブールです。

      

夏に行ったのですが、その暑さは半端ではありません。湿度も高く、日本の真夏に似ている感じです。

宗教はイスラム教です。イスラムの特徴ですが、どの家庭にも絨毯があります。

イスラムは砂漠の民の宗教ですね、絨毯も乾燥地域の生活様式から生まれたものです。湿地では合いません。そこで、この国ではやたら絨毯を干す姿が目につきます。

パトルジャン・ドルマス(ナスの中にピラフを詰めたもの)はけっこういけます。野菜も豊富、ヨーグルトは最高です。

ヨーグルトは元来中央アジアの遊牧民族の食べ物です。それがモンゴル帝国の大統一でトルコに入り、お隣のブルガリアにまで浸透したのではないでしょうか???

疲れたら水パイプ、夜はベリーダンスとかなり充実した旅となるでしょう。アヤソフィアの内部の荘厳さは比類なきものです。イスラム寺院最高峰のひとつに数えてもよいのではないでしょうか?

この国は、世界遺産も極めて多く、歴史の深さを感じます。パムッカレという保養地で温泉プールに入り、潜ったら、下が遺跡だらけでした。(注:世界の保養地に出向くと、必ずといってよいくらいドイツ人ご婦人が集団でいる、と感じるのは私だけでしょうか??)

夜ホテルで地元の結婚式を見ていたら、「踊れ」といわれたので踊ったら、翌日別の結婚式に呼ばれてしまいました。よく踊る陽気な人達という印象です。

個人的にはカッパドキアが印象に残ります。奇岩に覆われた街なのですが、西方から追われるようにして、この地にたどり着いたキリスト教の修道士達が、洞窟を掘り、地下都市を造ります。

一時数万が地下で暮らしたといわれるほど巨大な地下都市です。中に学校や遊技場、墓地すらあります。眼をつぶると、当時の人の「信念」の強さを感じます。

ただ、安チケットで行ったので、途中4カ所も経由し、24時間以上かかりました。動かない飛行機ほどつまらないものはないですね。まぁ、そのおかげでカラチ(パキスタン)の夜景を見ることができました。「禍福はあざなえる縄の如し」でしょうか?

 エジプト、カイロ

 子供の頃から憧れる場所が3つあった。ひとつは万里の長城。中国の歴史マンガからロマンを感じたせいだろう。ローマのコロセッテオにも行きたい。80年代までのハリウッド映画は壮大だった。その象徴がコロセッテオである。あるいは格闘技好きの影響か???最後はギザのピラミッドの中に潜入??するという夢である。あの巨大でミステリアスな建築、守護神のスフィンクスを含め、よく夢の中に出てきた。王の権力の象徴?宇宙人が作った?あるいは雇用対策としての公共事業?いまだに興味が尽きない。

 カイロにはナイルを中心に様々な建造物がある。大きくわけて、ナイル東岸は現世の建物、日の沈む西岸は死者に纏わる建物がある。つまり東に宮殿、西に神殿があり、ピラミッドがある。

ピラミッドの中は意外なほど広い。想像した空気の薄さも感じもしない、少し涼しく感じる程度である。よじ登ってみたいが、数年前に人が落下して亡くなったため、現在は中止している。周囲をゆっくり回ったり、座って仰ぎ見るしても、あっという間に時間が過ぎて行く。本当に素晴らしい。

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周囲には[ラクダに乗せて幾らのおじさん]がたむろする。はっきり断らなければ、無理に乗せ、お金を要求される。 この国はイエス・ノー(意思表示)をはっきりさせたほうがよい。

帰りのタクシーでは、運ちゃんが、子供が3人いて生活に困窮しているといって、告げたホテルまで行ってくれない。1$と日本からの和菓子を差し出す。

公衆トイレを出た瞬間、タオルを突き出され、受け取ったら最後、1$要求される。

ホテルの庭を掃除しているオジサンに花を指差し、何という名前の花ですか?質問したら、「フラワー」と答え、またも当然のように1$要求される。このようなバクシーシの感覚に慣れだしたら、この国は実に面白い。

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途中ルクソール神殿(ここは圧巻)に寄ると、何と考古学の吉村早大教授がいる。テレビの仕事らしい。何だか得した気分。こういうことは続くもの。帰国後、自宅近くのユニクロに行ったら、WBSコメンテーターの経済学者斉藤教授を見かける。犬と散歩する名取裕子ともすれ違う。
ケンドー・コバヤシともすれ違う。コンビに立ち寄ったら阿藤快?が立ち読み中。極めつけは侍士朗越中(プロレスラー)が、目黒駅前のスパーで買い物をしていた。不思議に続く。

これもピラミッドの御利益だろう。

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